安房国礼三十四観音霊場   
第二十八番~第三十四番・番外
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
福聚山 松野尾寺 金剛山慈眼寺 金蓮院 養老寺(観音寺?)
 
 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
ご本尊は行基菩薩作と伝わる聖観世音。

こちらは本当は自性院でご詠歌に詠まれている「松のおじ」とは別のお寺さんだったとのこと。

松野尾寺は自性院と巴川を挟んで対岸にあって、大正十三年の関東大震災で倒壊し、自性院に移されたとのことです。

訪れたのは夕方5時少し前、ご住職は今帰って来たと言うことでしたのでここも運が良かったと言うことでしょか。

本日はこちらで打ち止めとなりました。
文永年間(1264~1275年)に開創され、ご本尊の十一面観世音は行基菩薩作と伝わるとのことです。

写真は観音堂です。
本堂はこの右手にあります。

ご住職さんは不在、連絡先の携帯電話番号が書いてあったので電話しましたが遠くにいて戻れないとのことでした。

住所を書いて置いておいてもらえれば郵便で送ってくれるとおっしゃてましたが、次回来た時に再度尋ねるとお伝えしてお寺さんを後にしました。
(11月28日に頂きました)
正式には妙法山 観音寺と言うそうです。

養老寺の名は養老元年(717年)に創建されたと伝えられていることから来ているみたいです。

慈覚大師が来錫して中興しとあります。

ご本尊の十一面観世音は行基菩薩作と伝わるとのことです。

ご朱印は写真の左のお宅にお願いし、とお堂の中で頂きます。
平成21年11月3日 平成21年11月3日 平成21年11月3日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
普門山 長福寺 金剛山 小網寺 杉本山 観音院
 
 千手観世音菩薩  聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
神亀二年(725年)、行基菩薩が開創し、自刻の千手観世音を安置したのにはじまるとあります。

こちらは、昔の徒歩と海路での巡礼の時代から、その地理的条件から結願寺として位置付けられて来たお寺さんだと言うことです。

一番さんと二十番さんで売りれだったガイドブックが置いてあったので買いました。
和銅三年(710年)の創建、古くは大荘厳寺と称し、行基、良弁、弘法、慈覚大師などが来山し、弘安五年(1282年)には密教修業の道場となり「安房の高野山」ともいわれるほど栄えたとあります。

写真は観音堂です。

入口には立派な山門(仁王門)があります。
開創は行基菩薩で、後に慈覚大師が来錫して不動、毘沙門、薬師の三像を刻み、堂宇を建立して安置したとのことです。

結願寺の表示が有ります。

三十四番さんは後から追加になったことを表しているのでしょうか。
平成21年11月3日  平成21年11月28日 平成21年11月28日
第三十四番
大山 滝本堂
千手観世音菩薩
縁記によると、西国三十三ヶ所中で番外花王院に参拝するのになぞらえ安房も一か所加えたとのことのようです。

現在、札所本尊の千手観世音は大山寺の不動堂に同居しています。

経緯を簡単にみると、大山寺は山頂にある高蔵神社の別当寺だった。

大山には他に大永山長徳寺という寺があり、ここが三十四番札所だった。

長徳寺は天皇の勅願所として大いに栄えた時代もあったが明治維新のときおそらく廃寺を余議なくされ、のちに大山寺のみが復興したため引き継がれることになったのだろうとのことです。

ご朱印は本堂の中に差し替え用のものが置いてあります。

写真をクリックすると観音様が見れます。
平成21年12月6日
番外 番外 番外
震災観音堂 福聚山 観音寺 水月堂
 
聖観世音菩薩  聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
市街地にありますので車を止めるところに困りました。

観音堂縁起によると、創建された趣旨は関東大震災による犠牲者の御霊を慰め、且つ又世界平和祈願の為そして、精神強化の一大道場たらしめんが為というものです。

ご朱印は慈恩院さんで頂きます。
住所:館山市上真倉1709
(場所が離れていますので注意です)

慈恩院さんは”里見八犬伝”で知られる里見氏の菩提寺の一つだそうです。
九代当主、里見義康のお墓があります。
文明三年(1471年)、里見義実の開山、新田義貞より譲り受けた聖観世音菩薩を本尊として安置いたとあります。

お寺さんから電話をするとわざわざ来て下さってお堂を開けて下さいました。

(車で来られたので結構遠いのかも)
文和四年(1355年)開山創建。

元文五年(1740年)三代醍醐新兵衛明定が元禄の大津波で死亡した多くの人々の供養と助かったことや、仏に感謝するため守護を念じ千手観音立像を制作寄進、通称「身代わり観音」と呼ばれるようになったとのことです。

六番、長谷寺さんのすぐ隣です。
平成21年11月3日 平成21年11月3日  平成21年11月3日
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