天正十年(1582年)の開創
(本能寺の変があった年)
永昌院は観音堂の別当寺として創建された。
観音堂は文安四年(1447年)に禀庵という僧が興し、江戸時代には徳川家光公より観音領七石の御朱印をいただいていた。
現在の観音堂は境内の西にあり、大正八年(1919年)に再建されたもの。 |
ここは、由木氏あるいは滝山城主の大石定久の居城跡といわれ、大永七年(1527年)の開創、定久の叔父の長純の開山。
徳川家康公が巡拝の折り、朱印十石、公卿格式拾万石を受けて大名寺となるとあります。
文政六年(1823年)につくられた聖観世音菩薩は昭和五十五年(1980年)に建てられた三重塔の本尊として安置されている。
本堂の杉板戸の絵は、多摩市関戸の狩野派絵師・相沢五流の文政五年(1821年)の大作である。 |
文安二年(1445年)、畠中進江なる者一寺を建立発願、心安寺公に議し賛成を得て功を秦すという。
「新編武蔵風土記録」には本尊聖観音となっているが、現在の本尊は十一面観世音菩薩です。
伊予国豊田群・七宝山観音寺の写しという。
寺号は普門品中の「具一切公徳慈眼衆生」をとって名付けられたもので、観音信仰を中心とした寺であることが分かる。 |