<観音霊場巡礼>
武相卯年観音霊場
 
 第二十八番
 第二十九番
  施弥山 慈眼院 福生寺 十一面観世音菩薩
正観世音菩薩
   令和5年04月19日(水)  真言宗智山派
 その昔は、荒ヶ谷戸の観音様と人々からいわれて、多くの人々の信仰を集めていたこの観世音菩薩は、田端の観音寺に祀られてあった。

それを福生寺の先住が、第二十九番の福生寺の観音堂に合祀されたものである。

御丈は一尺八寸で十一面観世音菩薩である。
 八十四代四条天皇御世天福元年七月十五日孫兵衛清彦蝉聲股々耳にす。

其時山伏坊姿の玄亮と願出百姓聚上下差別棄て御先祖様の御寺建立の念願を説き、御本尊観世音菩薩を安置することを時の鎌倉幕府に願い出て執権北条泰時公の命に依り社寺奉行に言命せられ年号の一字を賜り蝉山福生寺とせらる。
東京都町田市小山町2524 042-797-7034
 
 第三十六番   富亀山 圓通庵(養樹院内) 準提観世音菩薩
   令和5年04月19日(水)  曹洞宗
 養樹院に伝わる万歳録によりますと、嵯峨天皇弘仁癸卯頃、真言の高僧当地に草庵を結び、武相の鎮護と人法二法の隆興を祈請されたとある。

その後歳月風雨に堂舎悉く廃頽して鬼哭啾々たるものあり、秋に明正天皇寛永七庚牛大泉十一世聖翁存祝大和尚十方の信施を仰いで伽藍を再建されたと記されてある。
東京都町田市上小山田町2536 042-797-3067
 第十一番   補陀山 大泉寺 聖観世音菩薩
   令和5年04月19日(水)  曹洞宗
 小山田城主第二代五郎行重公が父祖菩提の為提谷に一宇を創建し、大仙寺と称号し、真言宗であったが、小山田城の落城とその命脈を共にした。
その後永享年間相模国最乗寺(道了尊)第四世が小山田城趾に諸堂を完備し、補陀山大泉寺と改称し、境内八千坪の間に点在する堂宇を覆うて鬱蒼とした杉、樫、樅等の老大古木に照り映える太陽の光を仰ぐ如く、全山を観音様の霊地として来た。

二十二世聖林代(延享年間)現地に三間四方の観音堂を新築し、聖観世音菩薩の尊像を奉安し、武相第十一番札所となる。
東京都町田市下小山田町332 042-797-9199
 
 第三十四番   柳澤山 泉蔵寺 十一面観世音菩薩
   令和5年04月19日(水)  曹洞宗
 正徳五年(一七一五)に、時の下小山田村領主柳澤備後守信尹によって開基されました。

柳澤山という山号は柳澤備後守の「柳」よりとったものであり、元禄時代徳川幕府の中枢にいて権勢ならびなかった柳澤吉保にもえにしの深い山号です。

泉蔵寺の縁起をたどると江戸牛込宗参寺の末寺として開基されたと記録されています。
宗参寺は老中首席となった柳澤家の菩提寺であり、この名刹に連なる当寺は、近世に開かれた寺院としては、きわめて由緒ある歴史を誇っています。
東京都町田市下小山田町1391 042-797-1848
 
 第三十三番   吉祥山 覺圓坊 聖観世音菩薩
   令和5年04月19日(水)  天台寺門宗
 町田市木曽観音は、吉祥山住善寺達蔵院覺圓坊と称し、元近江国三井寺(園城寺)六百二十一坊中の一寺で、康平六年(一〇六三)六月、覺圓僧正が同寺金堂裏に開基しました。
東京都町田市木曽西4−7−33  
 
 第四十八番   渕源山 龍像寺 聖観世音菩薩
   令和5年04月19日(水)  曹洞宗
 暦応年間(一三三八〜一三四一)村の東を流れる境川べりに竜池という大きな沼があった。
そこに大蛇が棲んでいて、しばしば人畜に害をおよばし、村人は他村へ離散するにいたりました。そこで、時の地頭淵辺判官伊賀守義博は、二本のかぶら矢を放ちて大蛇を退治、蛇体は三段となり飛び散った。
天台沙門存光師により、龍頭、龍像、龍尾の三ケ寺を建立しましがその後三ケ寺とも荒廃に帰した。
巨海才和尚巡錫の折、この地に夜の宿を求めると、老媼こつねんと現れて、大蛇の霊が浮かばれないでいる事を告げたので村人に話して浄財をつのり、三寺併せて一寺となし、それが現在の龍像寺であります。
神奈川県相模原市中央区東淵野辺3−25−1 042-752-2366
 
 
 
 
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