越後三十三観音霊場  第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
岩井山 白蓮寺 聖籠山 宝積院 大悲山 普談寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
大同二年(807年)、慈覚大師が当地へ巡錫のおり五十公山の最高峰である岩井戸山に登り、観音像を奉安して当山を開いた。

十一面観世音菩薩像は聖徳太子作と伝えられる。

観音堂は昔、岩井戸山の山頂にあり「岩井堂の観音様」と呼ばれていたが、明治時代に白蓮寺に移されたそうです。

秘仏開帳は年一回の4/18だったそうです。
天平九年(737年)、泰澄大師が百合若大臣と大臣に忠を尽くした緑丸という鷹の菩提のために、十一面観世音と仁王尊を彫刻して安置したのが始まりという。

鷹のためにと言うのは珍しいですね。

石柱から長い参道を行くと右手に本堂、庫裡があり正面に仁王門その奥に観音堂があります。

堂内参拝には事前の連絡が必要です。
(前立開帳)
十一面観世音菩薩像は聖徳太子作と伝わる。

仁王門を潜って石段を上ったところに観音堂があります。

期間中随時秘仏本尊開帳となっていました。

私が伺ったときは前立でした。
平成25年05月01日 平成25年05月01日 平成25年05月01日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
龍形山 正円寺 多宝山 宝塔院 明白山 最明寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
延歴十五年(796年)、伝教大師・最澄の開山。

応徳元年(1084年)、善慶上人によって真言宗に改宗された。

伺った時はお留守、直ぐに戻りますの張り紙がありました。
待つこと5分ほど、奥さんが戻ってこられて観音堂を開けて下さいました。(前立開帳)

お茶でもと言うことで本堂に上がらせて頂きしばし談笑、境内の菩提樹の実で色々造られています。
大治元年(1126年)、法印・性鑊法師によって開創されたという。

本尊の聖観世音菩薩は三条城主・三条左衛門定明の奥方・千坂姫の守護仏で僧・行基作とされる。(秘仏開帳は8/10のみ)

お寺さんへの道は結構分かりにくいです、私は北三条駅近くに車を停めて行きました。

庫裡は幼稚園になっていて賑やか、元気な子供たちで一杯でした。
天平元年(729年)、甚諦法師によって開創された。

千手観世音菩薩像は僧・行基作と伝わる。

山門から長い参道の先、正面に観音堂、右手に本堂があります。

期間中常時秘仏本尊開帳ですが、堂内参拝には事前連絡が必要です。
(秘仏本尊開帳)
平成25年05月01日 平成25年05月02日 平成25年05月02日
番外 番外
大辻山 華蔵院
(椎谷観音)
塔婆山 金龍庵
(太郎代観音)
正観世音菩薩 聖観世音菩薩
観音堂は仁王門を潜って300段の石段を登った先、なんですが。。。
今は観音堂の下まで車で行けます。

ご本尊は弘仁二年(811年)、椎谷浜の海中から引き上げられたという。

良くこんなところに建てたなって言うほど立派な観音堂です。

椎谷観音の別当・華蔵院は弘仁八年(817年)、密韶和尚の建立。
境内の小さな丘の上に石の観音様がおられます。

越後の悪党「黒鳥兵衛」を退治した源義家の重臣で、太郎代の名前の由縁といわれる「齋藤太郎太」の菩提を弔うために安置されたとも伝わる観音像です。

お堂を建てて安置しましたが、たびたび屋根が飛ばされるため天曝(あまざら)しにしたところ平安の日々が続くようになったといわれています。
平成25年04月28日 平成25年05月01日
番外 番外
宝珠山 来迎寺
(井栗観音)
八海山 龍谷寺
(開運観音)
正観世音菩薩 十一面観世音菩薩
寛治七年(1093年)、前九年の役の安倍貞任残党・黒鳥兵衛征伐のため、越後へ出陣した北畠中納言の家居・荒正公が正観世音を奉持て当地に堂宇を建てたのが始まりという。

承徳二年(1098年)、来迎寺と合併、火災によって焼失したが、元禄元年(1688年)、栄膳和尚によって中興開山とした。

途中の道は分かりにくく道も狭いですが何とかたどり着けました。
約1300年前に八海の御坊によって開かれたという。

かつては八海山の中腹にあったが、大栄三年(1523年)、天慶宗積和尚によって曹洞宗に改められ伽藍を当地に移したそうです。

ここの観音堂は一見の価値ありです、インドグブタ朝様式の建築で、御丈十八尺(約5.5m)の十一面観世音菩薩像が祀られています。
平成25年05月02日 平成25年05月02日
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