第二十三番 |
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龍遊山 常久寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
臨済宗妙心寺派 |
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寺伝によると文亀・永正の頃(1501年~1521年)に光月源公首座という僧が、佐々良木 杉ヶ洞の地に縦三間、横一間の草庵を建て、本如実性を招いて開山し、龍遊山 常久寺と名付けたことに始まる。
元和元年(1615年)、現在地に移転した。 |
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岐阜県恵那市三郷町366−1 |
0573-28-1004 |
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第二十四番 |
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地久山 天長寺 |
楊柳観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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正保3年(1646年)11月11日、岩村藩主の丹羽氏信の三男の丹羽氏春は当時、岩村藩主であった兄の丹羽氏定より、恵那郡の野井村と藤村の一部の1,000石を分知されて旗本となる。
明暦2年(1656年)11月18日、丹羽氏春は母の於徳の方の護持仏を本尊とし、当時、岩村城下に存在した一色丹羽氏の菩提寺であった妙仙寺の木吼観香(木吼杷挙)を招いて開山した。
その後、妙仙寺は、一色丹羽氏の三草藩への転封に伴って播磨国へ移ったため、天長寺は兵庫県加東市にある妙仙寺の末寺となっている。 |
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岐阜県恵那市三郷町303 |
0573-26-3506 |
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第二十五番 |
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白峰山 威代寺 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
臨済宗妙心寺派 |
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慶長4年(1599年)10月、野井鳥居前に安室養公(安室祖艱)により茅葺の草庵で開山し、明知の龍護寺の末寺に属したと伝わる。 |
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岐阜県恵那市三郷町1886 |
0573-26-3611 |
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第二十六番 |
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銀松山 瑞現寺 |
準提観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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寺伝によると、嘉吉2年(1442年)に、真道達源という平僧が、庵寺を創建したことに始まる。
寺の前身は、一説によると洞地内の寺畑にあり、長福寺と称したと言われているが、古記録が無いので不詳である。
寛永3年(1626年)に失火により焼失したが、同18年(1641年)に青山玄秀和尚が再建した。
その後、青山玄秀は、明暦元年(1655年)、恵那郡千旦林村の大林寺の徳外玄隆を迎えて瑞現寺を開山し、自身は二世となった。 |
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岐阜県恵那市武並町竹折1064 |
0573-28-2237 |
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第二十七番 |
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不老峰 洞禅院 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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文明年間(1469年-1487年)に、元は尾張国大草城主であった西尾式部道永が土岐郡釜戸村の刈安城(荻島城)主となった。
延徳3年(1491年)、西尾式部道永は、刈安城(荻島城)の福門にあたる藤村の木曽川を臨む丘陵地に洞禅院を開基し、福厳寺三世の盛禅洞奭を招き開山した。 |
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岐阜県恵那市武並町藤1813 |
0573-28-2378 |
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第二十八番 |
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祖廣山 自法寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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飯地村には寛政年間に雲林寺(臨済宗妙心寺派)の末寺として開かれた雲松山 洞泉寺があったが、
明治3年(1870年)、廃仏毀釈により廃寺となった。
恵那郡長島町永田の高安寺の絶學祖廣(木村祖廣)は、私有財産全てを投じて洞泉寺の跡地を買い取り、宅地・家屋・田地・山林を購入し、なお沖田を開墾し寺有として基礎を固めた。
明治42年(1909年)、静岡県磐田郡富岡村(静岡県磐田市)にある、大円寺五世の久岩全良が開山した自法庵の寺号を洞泉寺跡に移すことによって大正元年(1912年)11月16日に曹洞宗の寺院として開山した。 |
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岐阜県恵那市飯地町919 |
0573-22-3533 |
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第二十九番 |
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雲嶽山 長楽寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
臨済宗妙心寺派 |
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恵那市笠置町下河合下垣外に、清岩浄詳が開山した曹洞宗の観音菩薩を祀る寺庵があったとされる。
清岩浄詳は、万治元年(1658年)に寂しているので、それに遡ると開創は江戸時代の初期と考えられる。
三世の久岩玄昌の代に、苗木城下にあった雲林寺の末寺となり、臨済宗妙心寺派に転宗して、観音菩薩を本尊とする、観音寺(観音庵)を開山した。 |
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岐阜県恵那市笠置町1119−3 |
0573-27-3471 |
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第三十番 |
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寳林山 高徳寺 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月16日(水) |
臨済宗妙心寺派 |
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明治11年(1878年)、浅野剛宗(剛宗宗戴)が、飯田から返還された寶林寺の十一面観音菩薩を本尊として、岐阜県山県郡松尾村で維持に困り廃寺を検討していた高徳寺を、普門院(普門庵)の跡地に移転させる形で、寺の再興を果たした。
その際に、廃仏毀釈の際に廃寺にされた寶林寺に因み、山号を寶林山とした。 |
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岐阜県中津川市蛭川5349 |
0573-45-2608 |
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第三十一番 |
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天佑山 大洞院 |
楊柳観世音菩薩 |
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令和6年10月16日(水) |
曹洞宗 |
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昭和33年(1958年)に恵那市の高安寺の僧侶の各務英哉が恵那峡を望む蛭川村の若山の山腹に寺院の建立を志し、蛭川村の村有地を得て堂宇を整えることとしたのが始まりである。
昭和38年(1963年)、「木曽川北岸の紅岩のあたりに大霊場を開け」というお告げを受けて、全くの無人地帯であった現在地に、天佑稲荷尊天根本霊場を開創した。
その後、昭和55年(1980年)、本堂の建立も成り、高安寺八世で先師の天外祖英(木村祖英)を開山として、天佑山 大洞院を開創した。 |
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岐阜県中津川市蛭川5735−9 |
0573-45-3047 |
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第三十二番 |
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巨福山 長徳寺 |
千手観世音菩薩 |
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令和6年10月16日(水) |
曹洞宗 |
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「長徳寺略記」によると慶安元年(1645年)に久須見の村人が草庵を改築して、大林寺三世の徳外玄隆和尚を迎えて開山し、延宝3年(1675年)1月に、三世の祖山天秀の代に草庵を新築した。
寛保2年(1742年)5月2日、七世の暁童𣴎天の時代に寺が焼け落ちてしまったものの、宝暦4年(1754年)8月5日に入仏し再建を果たした |
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岐阜県恵那市長島町1068−111 |
0573-26-1966 |
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第三十三番 |
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長昌山 圓通寺 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月16日(水) |
曹洞宗 |
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古代に正家の地に建立された真言宗の寺院、青松山 圓嶽寺が、元亀3年(1572年)この地に侵攻した武田氏によって焼き払われ、 慶長年間に本尊とされる観世音菩薩が堂が建てられて祀られるようになった。
正保4年(1646年)、千旦林大林寺三世の徳外玄隆が勧請開山し寺院となった。
その後、一旦寺格が平僧地となるが、三世の密門良重の代に平僧地から法地へと昇格した。
嘉永年間(1848~1855年)、八世の昭光靈寂の代に本堂の再建が成就した。 |
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岐阜県恵那市長島町正家265−1 |
0573-25-3012 |
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