建保三年(1215年)、栄西禅師を勧請して勅使河原有直が創建し、その後白崖宝生禅師により再興された。
先に五十番さんに伺ったのですがご住職が不在のため再訪することにして移動、9㎞ほどの距離です。
こちらは鐘を突くことが出来るので突かして頂きました。
本堂左手、奥へ進むと右側に昔のものでしょか、山門があります。 |
応永十四年(1407年)十一月、那波氏一族の力丸城の裏鬼門除けの寺として、西南の地に創建された。
観音様は山門を入った左手におられます。
先代ご住職は今年三月に亡くなられたそうで現在は息子さんが継がれています。
この観音様は先々代のご住職が昭和七年、一年かけて作成したものだそうです。
また本堂天井の龍図は素人の檀家さんが描いたものだそうですが立派です。 |
古くは関興庵と称し、応永十七年(1410年)、第二世・覚翁祖伝が上野国(群馬県)泉龍寺の僧・白崖禅師を招いて開山、末寺三百ヶ所を支配したと伝えられる。
戦国時代に幾度か伽藍を焼失、一旦、上杉景勝とともに寺を合津から米沢に移し、江戸時代に再び、米沢の関興庵から僧・萬源を迎えて現在の地に再興、寛延四年(1751年)、関興寺に改めた。
観音堂は本堂の左手にあります、また、本堂の中の左側奥には千手観世音菩薩像も祀られていました。 |