東上州三十三観音霊場   第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
福寿堂 眼亀山 常楽院 最勝寺
<新宿観音>
田中山 浄運寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
道路沿いにある月極め駐車場、その片隅に観音堂が建っています。

最初、駐車場に入ったと時にはお堂が何処にあるのか分からず出てしまいました。

当初の本尊は行基作とされる、高さ27㎝の聖観音座像であったが盗難により失ったとのこと。

ご朱印はお堂の前の箱の中に置いてあります、無かった時は26番さんでと言うことですので先にこちらに来た方が良いとのことです。
寛延ニ年(1749年)、東上州の霊場を再興されたのがこの寺の僧、台前性と浄弁良とのこと。

本堂、内陣の左側に六観音が祀られ、その内の聖観音が札所本尊とされている。

寛延ニ年(1749年)、東上州の霊場を再興させたのが、このお寺さんの僧・台前性と浄弁良とのことです。

道路を挟んで反対側が墓地になっています。
縁記によると、天文年間(1532~1555年)、玉念が広沢に庵を建て、永録元年(1558年)、玉念を開山として哀愍寺が創建された。

その後、浄蓮寺と改称され、慶長十年(1605年)に現在地に移転した。

山門の左手には3階建ての「かんのん堂」と呼ばれるビルがあり1階に金箔の前立の聖観音像が祀られている。

札所本尊は毎月18日に公開あれる。
平成23年12月23日 平成23年12月24日 平成23年12月24日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
平等山 妙音寺
<山の手観音>
大悲山 光明寺 小倉峠観音堂
<峠の観音>
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 馬頭観世音菩薩
創建時期や霊場の由来などはほとんど残っていない。

かつては百観音を祀った「さざえ堂」があったらしいが天保十三年(1842年)の火災で焼失した。

本堂左手の建物は信徒会館で武道の道場になっているみたいです。

中にはサンドバックが吊るしてありました。
八世紀に行基菩薩の創建。

江戸初期、鳳仙寺の禅師を招き開山し光明寺とした。

山門を入った右手の石段の上に観音堂がある。

本尊の千手観音菩薩像は行基自らが刻んだものとされている。

曹洞宗のお寺さんにしてはかなり立派って感じですかね。
結願札所に相応しく?、観音堂は山の中です。

道路から少し入った所に車を停め、参道を2,3分登ると指導標があります。

その先を少し行くと馬頭観音と刻まれた墓標などがあり、さらに185段の石段を登ると観音堂があります。

本尊の馬頭観音座像は弘法大師作と伝えられている。

結願のご朱印は東禅寺さんで頂きます。
平成23年12月24日 平成23年12月24日  平成23年12月24日
特別霊場
義重山 大光院 新田寺
聖観世音菩薩
創建は慶長十八年(1613年)、徳川家康が祖先とされる新田義重を祀る為に呑龍上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。

以来、徳川家、幕府から庇護されて江戸時代を通して御朱印300石が与えられ関東十八檀林の一寺となるなど寺運が隆盛しました。
(関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)とは、江戸時代初期に定められた関東における浄土宗の檀林(僧侶の養成機関・学問所)18ヶ寺をいいます。)

「子育て呑龍様」の名で親しまれています。
平成23年12月23日
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