天正ニ年(1574年)、常願寺川氾濫で水害に苦しまされる付近の住民たちを守り、氾濫防止の祈祷寺とするため、時の城主の命によって土地の豪族・五十嵐次郎左衛門頼房らの努力で建立されました。
ご本尊の聖観世音菩薩は行基作と伝えられ、富山県重要文化財に指定されている。
本堂天井には竜の絵が描かれていて、日光東照宮の鳴き竜と同じように手を叩くと響きます。
最近までは床に畳がひかれていて分からなかったそうですが修繕のため畳を剥がした際に気がついた?そうです。 |
天平年間に、この地を巡錫中の行基菩薩が東の山に不思議な紫雲のたなびくのをご覧になり、そこにそびえる大杉の霊の声に従って千手観音、馬頭観音、聖観音の三像を彫り安置されたのが始まりと伝えられている。
現在の本尊は平安末期の作で、舟見城主飛騨守五郎左近尉の守本尊であったと伝えられる。
秘仏の開扉は7年ごとに行われ、このときばかりは、近郷近在からの老若男女でにぎわう。
駐車スペースは裏手のお墓の辺りです。 |
創建は、大同元年(806)と伝えられています。
七堂伽藍があり、仁王門内に十六坊あった。
上杉謙信が越中に乱入した時、堂宇が兵火に遭い炎上しました。
後ち、中興の祖・秀運和尚によって、天文年中(1532~55)に再建されました。
文禄ニ年(1593年)に、加賀藩主前田利家から、十一面観音の灯明として、百俵地が寄進されて以来、前田家の祈願所となりました。
維新の際、奉還されたが、梅鉢紋を寺の紋に用いています。 |