准秩父三十四観音霊場  第二十八番~第三十四番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
薬王山 塩谷寺 弘誓山 薬王院 観音寺 三寶寺
第28番札所(塩谷寺)に遷座 第31番札所(長泉寺)に遷座
馬頭観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 正観世音菩薩
*開 山 慈覚大師円仁(七九四−八六四) 仁寿元年(八五一)

     縁起によると、文徳天皇(在位八五〇−八五八)は世継ぎの問題で悩んでおられたが、第一の皇后はこの心労により病床に伏してしまう。

天皇は東国の薬師の霊場へ慈覚大師を遣いに出す。

大師はこの地より長生不老の塩泉を汲み、天皇に献上したところ、皇后の病は立処に癒えた。
又この塩泉を四人の王子の頭頂に濯いだところ、突然四人目の王子より光明を発したという。
この王子が清和天皇である。天皇はふたたび大師に命じこの地に薬師如来を本尊として塩谷寺を建立した。
*開基開山不祥

御本尊は坐像五寸。高田町二、二五〇番地付近にして現在の横浜市と川崎市との境にあった天台宗の寺院で、明治十五年(一八八二)に廃寺となった。

本尊は塩谷寺に移され現在に至っている。
*開基開山不祥

第31番札所(長泉寺)に遷座
平成29年06月10日 平成29年06月10日 平成29年06月10日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
妙見山 不動院 長泉寺 光明山 大善寺 龍福寺
 
聖観世音菩薩 正観世音菩薩 十一面観世音菩薩
*中興開山 覚推
*慈眼寺(真言宗豊山派)管理。

以前は王禅寺の末寺であった。
中興開山を覚推と伝えられる。
延享年間(一七四四−一四七)に示寂。御本尊不動明王は七寸の坐像である。

この寺はもと芝生谷にあったのを現在の場所に移転した。
*開 基 弘治年中(一五五五−一五五七)
*開 山 (中興)覚蓮社本誉大阿善達上人・元和元年(一六八一)九月示寂
元この地に小庵があって、弘治年中禅僧の端蔵王が当所に留錫し、鎌倉から慈覚大師作の阿弥陀像を招来し復興。
再度荒廃したのを大阿善達上人が中興した。彼は天和元年九月の示寂なので中興はそれ以前と思われる。
したがって善達上人は浄土宗になってからの開山であったと思われる。
*開 山 実相法印 天正十五年(一五八七)

以前は王禅寺の末寺であった。開山は実相で天正

十五年の建立であるが、宝暦十二年(一七六二)に火災のため焼失した。後にいたり日栄がこれを復興した。
平成29年06月10日 平成29年06月10日 平成29年06月10日
 第三十四番
鵜之目山 観音院 清林寺
正観世音菩薩
*開 山 清閑上人 宝暦四年(一七五四)

開山は江戸時代の清閑上人である。

御本尊の正観世音菩薩像は恵心僧都のご自作で、平成十九年に横浜市有形文化財に指定され、平安時代後期の作品で静謐な立ち姿など定朝様の特色を示している。
平成29年06月10日
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