旧小机領三十三観音霊場   第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 第二十九番
鶴峯山 三佛寺 瑞應山 慈眼寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
二十七番さんからバスで相模鉄道・鶴ヶ峰駅へ、電車で二俣川駅へ移動します。

駅から700m、10分ほどの歩きです。

開基は領主・宅間規富、元々この地に祀られていた阿弥陀如来、観世音菩薩、地蔵菩薩の三尊をあわせたことから三沸寺の寺号がついたそうです。

開創時は真言宗のお寺で、観音寺と称していましたが、慶長八年(1603年)、浄土宗に改めました。

四日目はこちらまでとなりました。
五日目はこちらからです。
JR中山駅から600m、10分ほどの歩きです。

開創年代は不詳。

1633年の文献には既に寺の記述がみられることから、その頃あるいはそれ以前の開創で、開山は初代住職・佑応法印であろうと推測されています。

十一面観世音菩薩立像は行基菩薩作と伝えられる、総丈四尺五寸。

観音様は暗いところにおられたので写真はこんな感じになりました。
平成22年11月6日 平成22年11月13日
第三十番 第三十一番
壽保山 長泉寺 高猿山 宝塔院
正観世音菩薩 正観世音菩薩
二十九番さんから900m、15分ほどの歩きです。

開基は斉藤平兵衛右近と伝えられています。
武将だった右近は、弓矢を捨てこの地で農耕を始めました。
信心深い右近は、農耕崇拝の仏さまとしてこの地に寺院を建立したとのことのようです。
良質湧水の多い地から長泉寺と名がついたとか。

ご朱印は元気な奥さんから頂きました。
奥さん:「今日は、え~と11月7日?」
私:「11月13日です」
奥さん:「ここにいると日付けの感覚が無くなっちゃうの」
と。。。。。楽しい会話でした。
三十番さんから1.4㎞、20分ほどの歩きです。

約500年前に融範法師が開山したと言われる。

さらに古く、承和年間(840年頃)に、弘法大師が東国巡行の際に、この地に堂宇を建立したと言う伝説も残っています。

富山第二十七世・黒田覺隆師(1914年遷化)の記述に
「往昔承和年中頃、宗祖弘法大師わが朝密教弘傅の為、東海ご巡行の節、此処において三十七日間密法護摩を修行なされ大勝寶塔をご建立、よって寺号を寶塔院と号するところなり」
とあるそうです。
平成22年11月13日 平成22年11月13日
第三十二番
瑞照山 東観寺
聖観世音菩薩
三十一番さんから2.2㎞、30分ほどの歩きです。

天平年間の開創、開山・開基とも行基菩薩。

天文十二年(1543年)、誓海法印によって中興され現在に至っています。

聖観世音菩薩は金色で鎌倉時代の作だそうです。

本堂裏手の墓地には無縁仏塔、大きな観世音菩薩立像(写真右)などがあります。

10年後のご開帳には是非また来て下さいとのお言葉を頂きましたので忘れずに置きたいと思います。
平成22年11月13日
第三十三番
瑞谿山 法昌寺
十一面観世音菩薩
三十二番さんからJR鴨居駅まで1㎞ほど歩き、長津田駅、こともの国駅へと移動します。

駅から直ぐ、50m位のところに本堂(写真上)があります。
平成8年、区画整理によりここに移されたそうです。

境内には子年三十三観音霊場の石碑(写真上、右)が立っています。

ご朱印はここから600mほど歩いた緑山霊園(写真右)で頂きます。

ご開帳時はここに観音様が祀られていたみたいですが、今はおられません。

観音堂は本堂の近くにあるみたいなのですが残念ながら今回は見つけることが出来ませんでした。
何時か探してみたいと思います。
平成22年11月13日
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