南知多三十三観音霊場   
第二十八番~第三十三番・番外
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
献玉山 宝積院 臨海山 慈光寺 尾風山 泉蔵院
聖観世音菩薩 馬頭観世音菩薩 千手観世音菩薩
永禄二年(1559)鍋山にある性海寺の五世住持により開基された、頭塔の一子院であったといわれ、 のち性海寺十二世蘭峯盛曇大和尚のとき堂宇が創建されたとあります。

写真をクリックすると観音様がみれます。
天文八年(1539)恵空上人により開創され、十四世安空義静上人により中興されたとあります。

南知多三十三観音霊場中、唯一の馬頭観音様です。
聖武天皇の神亀年間(724~)に僧行基が創建したと伝えられています。

通称「だるま寺」として信者に願いだるまを授与しているそうです。
平成22年2月21日 平成22年2月21日 平成22年2月21日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
井際山 如意輪寺 法聲山 妙音寺 井際山 持宝院
十一面観世音菩薩 千手千眼観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
如意輪寺の縁起は古く、奈良時代に僧行基が行脚のとき、この地にとどまり、建立した管福寺の子院として、創建されたものだそうです。 天正年中(1573)宗音公和尚が薬師如来の夢現により開創されたとのことです。
持宝院は行基開創といわれる一山九坊の巨刹、真言宗観福寺の一院でありましたが、戦国乱世を経て、 この地には持宝院のみ残ったのとのことです。
平成22年2月21日 平成22年2月21日 平成22年2月21日
番外 番外
華誉山 宗真寺 東照山 松寿寺
 
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
、延元三年(1338)義良親王(のち後村上天皇)が篠島へ漂流され、 続けてこの地別荘へ移り給い、幾年ならずして吉野へ帰られて後、 文禄二年(1593)領主千賀志摩守はこの漂跡の隠滅することを嘆かれ、 寺内小山という所にあった徳有寺と唱えていた草庵をここへ移し、実父、華誉宗真居士の追善菩提のため、 一寺を創建、その法名をもって華誉山宗真寺と改号したとのことです。 天文十一年(1542)鄭孚守学首座を開基とし、雪天俊盛和尚を開山とするとあります。

徳川時代初期に東照山の山号を東光山と改めたことがあったが、不祥事が度々おこったので、 島民が嘆願してもとの東照山と称するようになったといいます。  
平成22年2月20日 平成22年2月20日 
番外 番外
岩屋山 奥の院 宝禅山 長山寺
 
聖観世音菩薩 文殊菩薩
大同三年(808)弘法大師はこの奥の院を開創し、百日の護摩を修行し、ご自身の像を岩窟の中に納められたとあります。 永禄元年(1558)無参是敬和尚の創建と伝えられています。 
平成22年2月20日 平成22年2月21日 
観音霊場の旅トップに戻る