欣明天皇の時代に武蔵の海岸に放置されていたのを、当時の開山印牛禅師が夢のお告げで、この観音と出合った。
そして、印牛禅師に法嗣金龍和尚は尊蔵を金華山麓の黙山庵に安置された。
しかし、天明3年(1783年)に再び、御霊示によって、安住の地を現在の市橋に、堂を再建して安置された。 |
16世紀後半、旧倉知村にあった龍蔵庵が前身。
宝永2年(1705年)庵を現在地に移して、龍泰寺23世古谷如神和尚を開山に勧請し、宝樹山 龍蔵寺と改称。
嘉永3年(1850年)龍泰寺36世弘道辨玉大和尚を法地開山として勧請して、寺号を 玉樹山 立蔵寺 と改め現在に至るとあります。
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平安時代は吉田寺という名前であったそうです。
鎌倉時代に弘法大師法孫護忍上人が感得した十一面観世音菩薩をまつる為、吉田寺境内に観音堂を興しました。この尊像が、現在のご本尊です。
時の帝後堀河天皇の眼病平癒に効験を発揮し、勅願寺となり、新長谷寺の寺号を帝より賜りました。
境内は撮影禁止だそうで写真はありません。 |