三浦三十三観音霊場  第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
海照山 専福寺 金剛山 無量寺 禅林山 正住寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 定印観世音菩薩
境内外約200m.離れた所に観音堂があり、そこに十一面観音菩薩が像が安置されている。
寺伝および新編相模国風土記稿によれば、もと付近に存在した観妙(明)寺の本尊像であったという。天文十九年(1550年)に北条氏康の家臣で、三浦地内で佐島と菊名を知行地としていた糟屋兵部少輔藤原清承の願いにより、仏師大蔵法眼長盛によって造立された。

観音堂に駐車場はありません、道は広いので路駐でお参り出来ます。
開基は三浦一族の和田義盛で文治五年(1189年)に創建された。
創建時の宗派は不詳であるが、建武三年(1338年)に鎌倉浄智寺より中国僧竺仙梵僊(じくせんぼんせん)を招請して禅宗寺院の無量寿寺として開山されたと言われる。
その後、安土桃山時代の天正年間に厳譽壽道上人により浄土宗として開山された。
室町幕府八代将軍足利義政の開基、文明元年(1469年)の創建。その後、幾多の転変を経て明治中期にこの地に移ってきた。
観音像は、この寺の開基足利義政公の守り本尊と言い伝えられていて、聖観音菩薩である。ただ、如来像の様に印を結んでいるので定印観音と呼ばれている。

駐車場はありません、少しなら路駐でお参り出来ます。
平成26年05月10日 平成26年05月10日 平成26年05月10日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
鈴木山 長慶寺 網代山 海蔵寺 白蓮山 心光寺
聖観世音菩薩 十一面聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
長慶寺は三浦観音札所の歴史を伝え残している。

建久三年、三浦半島一帯の大飢饉に源義経の家居・鈴木三郎重家が人々の救済を発願し、三浦半島の三十三ヶ所の霊場を巡ったことに始まると言われるそうです。

観音様は「弘法大師」の作といわれている。
駐車場はありません。
開山は霊屋、開基は三浦氏最後の武将・三浦道寸。
本尊の十一面観世音は行基菩薩の作と伝わり、三浦氏最後の武将、三浦道寸の守り本尊とも言われ、海蔵寺も道寸親子によって建てられたと縁起に残る。

駐車スペースは寺前にありますが、道が狭いので海の方に停めて歩いて行った方が良いかなと思います。
本堂の軒先に「白蓮山心光寺」の木札がある。

長善寺の兼務寺。江戸時代の宝永年間(1704~10年)にすでに一向山長善寺の末寺となり、その後檀家も減って寺号を廃し、長善寺の境外御堂となっている。

3番さんも歩いて直ぐのところにあります。
平成26年05月10日 平成26年05月10日 平成26年05月10日
番外
龍徳山 光照寺
聖観世音菩薩
永享二年(1430年)の創建で、開山は空念和尚。
本尊は阿弥陀如来である。三浦三十三観音霊場をお手引きする「お手引観音」がお祀りされている。
寺伝によれば、この観音様は村人(進藤氏)の夢中のお告げにより土の中に埋もれていた観音様を掘り出し、光明寺の近くに観音堂を建てお祀りしたとされる。
平成26年05月10日
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