境内外約200m.離れた所に観音堂があり、そこに十一面観音菩薩が像が安置されている。
寺伝および新編相模国風土記稿によれば、もと付近に存在した観妙(明)寺の本尊像であったという。天文十九年(1550年)に北条氏康の家臣で、三浦地内で佐島と菊名を知行地としていた糟屋兵部少輔藤原清承の願いにより、仏師大蔵法眼長盛によって造立された。
観音堂に駐車場はありません、道は広いので路駐でお参り出来ます。 |
開基は三浦一族の和田義盛で文治五年(1189年)に創建された。
創建時の宗派は不詳であるが、建武三年(1338年)に鎌倉浄智寺より中国僧竺仙梵僊(じくせんぼんせん)を招請して禅宗寺院の無量寿寺として開山されたと言われる。
その後、安土桃山時代の天正年間に厳譽壽道上人により浄土宗として開山された。 |
室町幕府八代将軍足利義政の開基、文明元年(1469年)の創建。その後、幾多の転変を経て明治中期にこの地に移ってきた。
観音像は、この寺の開基足利義政公の守り本尊と言い伝えられていて、聖観音菩薩である。ただ、如来像の様に印を結んでいるので定印観音と呼ばれている。
駐車場はありません、少しなら路駐でお参り出来ます。 |