第二十三番 |
: |
光沢山 円照寺(六沢) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
曹洞宗 |
|
|
|
慈覚大師が巡錫したとき、みずから大樹を伐採し、この大樹で聖観音をきざみ、有縁の地へ安置した。
その一体の聖観世音が六沢のご本尊である。
門前に駐車スペース有り |
|
山形県尾花沢市六沢741-3 |
0237-28-2319 |
|
|
第二十四番 |
: |
宝沢山 薬師寺(上ノ畑) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
曹洞宗 |
|
|
|
土地の豪族高橋信濃は、旅人の安全を祈るため観音を安置した。
山の中腹の道路の側に建てられたというが、その年代は相当古いと思われる。
その頃は、観音堂の下にある東源寺という禅宗の小さな寺が、観音堂を管理していた。 |
|
山形県尾花沢市上柳渡戸207 |
0237-28-2437 |
|
|
第二十五番 |
: |
弘誓山 養泉寺(尾花沢) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
天台宗 |
|
|
|
この地方をまわっていた慈覚大師が、自分の彫刻した観音像をまつり、災厄消除悪虫退散を祈願した。
観音堂は、北坂下の田んぼの所にあったのを元和元年現在のところに移したということ。 |
|
山形県尾花沢市梺町二丁目4-6 |
0237-22-0669
0237-22-1763
(別当:三井氏宅) |
|
|
第二十六番 |
: |
川前観音堂(川前) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
|
|
|
|
最上川の下流、川が大きく蛇行する小高い丘の上にある。
この地方に悪い病気が流行したとき、慈覚大師が観音像を安置し、悪病消除のお祈りをし、悪病を退散させたのが始まりと伝えられている。
大型・小型とも参道入口前広場に駐車
御開帳時間中はお堂に人がいるのでそこで納経できます。 |
|
山形県北村山郡大石田町川前114
大石田町川前25(井苅宅) |
0237-35-2379(管理:井苅宅) |
|
|
第二十七番 |
: |
深掘観音堂(深掘) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
|
|
|
|
昔、都に安戸見一尾という人が、この尊像を持っていたが、その子孫が没落したため比叡山に奉納した。
その後、色々な所を渡り歩いたそうですが、明治十一年観音、観音は村民に移り交代で管理することになつた。 ナビでこの住所を入れると少しずれた場所に案内されてしまいました。 開帳時間中はお堂に人がいるのでそこで納経できます。 |
|
山形県北村山郡大石田町豊田595
北村山郡大石田町豊田577(納経所)
0237-35-5018(芳賀宅) |
0237-35-5024(管理:斎藤宅) |
|
|
第二十八番 |
: |
塩沢山 曹源院(塩ノ沢) |
千手観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
曹洞宗 |
|
|
|
縁起によれば、四位少将師興朝臣がお堂を建立し、千手観音を安置したのがはじまり.
天正の頃、最上義光の家臣、延沢能登守に攻略され、戦火のために城も堂もご尊像までも累が及んだ。その後、秘仏として祀られた。 |
|
山形県北村山郡大石田町横山327-1 |
0237-35-2262 |
|
|
第二十九番 |
: |
石水山 西光寺(大石田) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
時宗 |
|
|
|
昔は、現在の西光寺より西方一町ぐらいの所に立光庵という尼寺があり、
観音の別当として奉仕していたが、尼寺が廃寺となったので西光寺に移された。
大型は参道入口路上駐車、小型は境内に駐車 |
|
山形県北村山郡大石田町大石田乙692-1 |
0237-35-2364 |
|
|
第三十番 |
: |
鷹尾山 般若院(丹生村) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
天台宗 |
|
|
|
昔、一人の老僧が旅をしている途中、この地まで来て病気で亡くなった。
村の人々は、老僧の亡くなった場所にお堂を建て、尊像を安置した。これが丹生村観音の始まりと伝えられている。
大型・小型とも路上駐車(御開帳期間だけかも知れませんが駐車場はあります) |
|
山形県尾花沢市丹生1699 |
0237-22-2175
(御朱印所:舘野氏宅) |
|
|
第三十一番 |
: |
浪高山 東善院 光清寺(富沢) |
馬頭観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
天台宗 |
|
|
|
貞観五年(863)、慈覚大師東北行化の途次、この地に来り形勝の地なるによって補陀落山と名づけられ、自ら座像の馬頭観音を彫刻し、精舎を建立して安置。
これが当観音の始まりである。
小型・中型車は門前の駐車場へ |
|
山形県最上郡最上町富沢1378 |
0233-45-2217 |
|
|
第三十二番 |
: |
慈雲山 明学院(太郎田) |
十一面観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
天台宗 |
|
|
|
その昔、伊豆の国の伊豆三郎という者が移り住み、狩りや漁をして生活していた。
ある日、土地を検分しているとき、観音像を発見。家に持ち帰り安置した。
小型は参道に駐車 |
|
山形県最上郡最上町若宮119 |
0233-43-3916 |
|
|
第三十三番 |
: |
庭月山 月蔵院(庭月) |
聖観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
天台宗 |
|
|
|
近江の国、鯰江の城主、佐々木新太郎綱村が、出羽の国に国替となり、その姓を鮭延と改め、真室城を居城とした。
彼は、常日頃から観音を信仰し、近江から持参した本尊を城内に安置した。
その後、鮭川の清流に沿った土地に本尊が移遷され、それ以来、庭月と呼ばれた。
県外からの参拝者には結願証が付与されます。 |
|
山形県最上郡鮭川村庭月2829 |
0233-55-2343 |
|
|
番外 |
: |
臥龍山 天徳寺(世照) |
子安観世音菩薩 |
|
|
令和4年5月7日(土) |
曹洞宗 |
|
|
|
元文年間以前までは最上札所番外観音として、向町の月蔵院という天台宗の寺に安置されていた。
天保年間に月蔵院は廃寺となってしまったため、天徳寺の檀徒及び一般の信者の方々が相謀り、天徳寺に御遷座して安置することとなった。
本尊仏「子安観音菩薩」は、昭和17年の大火で焼失してしまった。
代わりに高さ約50センチの子安観音立像が作像され、観音堂を兼ねた位牌堂に安置されてきた。
大型・小型とも門前に駐車
出羽百観音の百番札所、結願所でもあります。 |
|
山形県最上郡最上町向町1495 |
0233-43-3935 |
|
|
|