置賜三十三観音霊場   第二十八番~第三十三番・番外
 
第二十八番 第二十九番
日祥山 綱正寺
(宮崎観音)
補陀山 岡応寺
(松岡観音)
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
巡礼1日目、2番目の参拝はこちらとなりました。

創建は元和二年(1616年)、置賜の代官を務め、荒れた土地を自ら開墾するなど人望の厚かった安部右馬之助綱吉と言う人に「よると伝えられている。

お堂の歴史は明らかではないが、延宝六年(1678年)に再建したと言う記録が残るそうです。

ご朱印を先にもらいに行ってお話をしていたら観音堂にお参りするのを忘れてしまいました。
創建は、天正年間(1573~1592年)、山室宗補という僧によるとされる。

本尊は木造りの聖観世音菩薩座像、元は南陽市宮内にある熊野大社に祀られていたが、明治初期の神仏分離により、明治九年に霊場番号と共に現在地に移管されたそうです。

頂いた「巡礼マップ」の住所は管理されている端岩寺さんの住所で観音堂(岡応寺)は霊場一覧に記載した住所にあります。

ご朱印は庫裏で自分で押印します。
平成22年7月26日 平成22年7月27日
第三十番
珠宮山 宝積房
(長谷観音)
聖観世音菩薩
慈覚大師が熊野権現に参詣したところ、荒廃した社殿を再興させようと自作の聖観音像を安置したとされる。

現在のお堂は上杉第十二代藩主、斎定時代に再建されたものだそうです。

ご朱印は熊野大社の参道の途中にある宝積房さんで頂きます。

観音堂はさらに熊野大社に向かって行き、大社にぶつかったら直ぐ右側の車が一台通れるような道を行きます。

しばらく(500m位?)行って家が無くなった左手に観音堂の案内と石段があります。
駐車スペースはその少し手前の右側です。
平成22年7月26日
 第三十一番
桜本山 正寿院
(五十川観音)
聖観世音菩薩
五十川観音は、観音様の申し子として多くの人々を救い、徳の高い僧侶として置賜の人々に崇拝された宥日上人の誕生の地だそうです。

本尊は慈覚大師の作と伝えられる聖観世音菩薩像。

現在の観音堂は宝暦九年(1759年)に再建されたもの。

参道入口に駐車場があります。(写真左上)

ご朱印は観音堂に向かう参道の途中、右手にある村上氏宅です。
平成22年7月27日
第三十二番
金剛山 真光寺
(森の観音)
千手観世音菩薩
江戸期の火災でお堂の一切は焼けたため、歴史は定かではないとのこと。

伝説ではその昔、村人がこの地で光を放つ物体を発見し、観音様の精霊としてお堂を建立して祀ったと言う。

こちらの「巡礼マップ」の住所は管理されている遍照寺(第十番札所)になっていますので気を付けて下さい。

観音堂参道入口付近は駐車スペースが無いので、ご朱印所の森公民館に停めて行かれると良いと思います。

ご朱印は自分で押すようになっていますが札所番号の印がつぶれていました。
(早く直して置いて頂けると良いのですが。。。)
平成22年7月28日
第三十三番
戸塚山 泉養院
(浅川観音)
聖観世音菩薩
お堂は正徳元年(1711年)の再建。

もとは戸塚山の頂きにあったが、昭和二十九年、風雪と火災からお堂を守るため現在地に移築されたそうです。

本尊は、大同元年(806年)、徳一上人の作と伝えられる。

ご朱印は庫裏の玄関に置いてありますので自分で押します。

ご朱印を押していると、ご住職が現われて「書きましょうか?」と言うことで墨入れして頂きました。

観音堂は庫裏に向かって右手から少し置くの石段を登ったところです。

来年は4月頃からご開帳をやろうと思っているとのことでした。
平成22年7月28日
番外
松高山 大聖寺
(亀岡文殊観音堂)
文殊菩薩
二十三番さんの次に向かいました。
距離的には三十三番さんの方が近いのですが、やはり結願は三十三番さんと言うことで。

本尊の文殊菩薩像は約1430年前に中国より伝来し、伊勢国神路山に安置されていたが、大同二年(807年)に徳一上人が勅命を受けて当寺に移築したそうです。

別当、大聖寺は真言宗に属し、皇室の勅願所として、国家安穏の祈祷を命ぜられ、また、徳川5代将軍綱吉以来家茂まで十代の間、ご朱印百石を賜わり、中納言格の待遇を受けた天下の名刹となっている。

以来、大和の安部、丹後の切戸とともに日本三大文殊の一つとして信仰を集めているとのことです。

写真右上が文殊堂、右が観音堂です。
平成22年7月28日
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