創建は天正十五年(1587年)、開山は忠陽怒海、中興開山は第十世・法印順慶。
「新編武蔵風土記稿」によると、根古屋村(現騎西町)の金剛院の末寺だったが、明治ニ十七年(1894年)、京都・知積院の直末となった。
一度目はお留守、二度目はご住職不在、残念。。。 |
縁記によると、延喜年間(901~23年)の創建、睦奥国白河郡一の宮・都々古別神社の近津明神を勧請した折、その別当寺として天徳ニ年(958年)に開かれたという。
観音堂は昭和六年(1855年)の建立。
ご住職は不在、も奥さんがご朱印を書いて下さいました。 |
縁記によると、大同二年(807年)の権立で、勝道上人の開基という。
札所本尊の十一面観世音菩薩は近くの集会所に安置されているそうです。
本堂は建て替え工事中、本堂左手に薬師堂と地蔵堂があります。 |