尾張三十三観音霊場   
第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
雲鷲山 長母寺 天長山 久国寺 東岳山 善福院
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
治承三年(1179年)この地の豪族・山田次郎重忠が母の菩提のために亀鏡山桃尾寺を創建し、当初は天台宗に属した。

弘長二年(1262年)には山田道円坊が再興し、無住国師が開山となって臨剤宗に改めたとあります。
慶長(1596~1615年)のころ、長国守養は徳川家康の守護仏だった行基菩薩作と伝わる聖観世音を三河の法蔵寺から移遷して楠山久国寺を創建。

寛文二年(1662年)現在地に移建し山号を天長山に改めたとあります。
慶長十三年(1608年)まで清州にあり、その後宝弁上人によって移建された。

はじめ尊勝院と号したが、善福院に改めたとあります。
こじんまりとしたお寺さんです。
平成22年3月21日 平成22年3月21日 平成22年3月21日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
海潮山 聚福院 音聞山 仏地院 八事山 興正寺
聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 正観世音菩薩
天正十二年(1584年)、宗山智容尼の開山。

慶長十五年(1610年)、徳川家康は水害の多い低湿に地にあった清州城を名古屋に移した。
この時約百ヵ寺あまりの寺院も移建された。
この中に当寺も含まれ、禅寺町(松山町)に移ったとあります。
後、昭和四十二年、長久手町に移建されたそうです。
寺伝によると、明徳四年(1393年)、僧・物道の開創、物先文之が開山とあります。

大正七年に本屋敷地内にあった当寺を八事音聞山の現在地へ移建したそうです。
弘法大師の開山、天端の中興開山とあります。

境内は六万坪、東西二山に分かれ、
東山を遍照院、西山を普門院と称しています。

新四国八十八ヵ所の結願寺でもあり尾張高野の名でも知られているそうです。

写真は観音堂です。
平成22年3月21日 平成22年3月21日 平成22年3月21日
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