天正十二年(1584年)、宗山智容尼の開山。
慶長十五年(1610年)、徳川家康は水害の多い低湿に地にあった清州城を名古屋に移した。
この時約百ヵ寺あまりの寺院も移建された。
この中に当寺も含まれ、禅寺町(松山町)に移ったとあります。
後、昭和四十二年、長久手町に移建されたそうです。 |
寺伝によると、明徳四年(1393年)、僧・物道の開創、物先文之が開山とあります。
大正七年に本屋敷地内にあった当寺を八事音聞山の現在地へ移建したそうです。 |
弘法大師の開山、天端の中興開山とあります。
境内は六万坪、東西二山に分かれ、
東山を遍照院、西山を普門院と称しています。
新四国八十八ヵ所の結願寺でもあり尾張高野の名でも知られているそうです。
写真は観音堂です。 |