西国三十三観音霊場
 第二十八番 ~ 第三十三番
 
 平成21年7月26日
 
第二十八番
成相山
 成相寺
  【聖観世音菩薩】

本堂への石段
西国三十三札所では最北端、天橋立に近い成相山にあります。

慶雲元年(704年)文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝わります。

この日もお寺さんに近ずくにつれ豪雨、前がほとんど見えないほどです。 
到着時にはやんでいてくれたので助かりました。

お寺さんへの坂はすごい急坂、雨が降っていたら登れなかったと思います。

麓からケーブルカーを使ってハイキングを楽しむのも時間がある方は良いかと。

本堂
第二十九番
青葉山
 松尾寺 
 【馬頭観世音菩薩】

仁王門への石段
ここも山の中、京都府と福井県の境にある青葉山の中腹にあり、西国三十三ヵ所で唯一の馬頭観音様です。

諸悪を除き、すべての苦しみを断つと言われているそうです。

本日は朝、姫路を出て来たのでこの二寺さんで終了です。

次の目的地近くの長浜まで行き今夜の宿となりました。

本堂
 
 平成21年7月27日
 
第三十番
竹生島
 宝厳寺 
 【千手千眼観世音菩薩】

 琵琶湖汽船(長浜港)
この宝厳寺さんは琵琶湖の北側に浮かぶ竹生島にあります。

島へは複数の港から船が出ていますのでこれを利用して行くことになります。

縁記によると神亀元年(724年)、行基が自ら刻んだ弁才天を祀る堂を建てたのが始まりとのことです。

島は周囲約2km、中にはこのお寺さんの観音堂の他に日本三弁財天の一つを祀る本堂、都久夫須麻神社、秀吉の御座船の廃材で造られた舟廊下等の見どころが沢山です。

右の写真は手前が唐門、奥が観音堂です。
その先に舟廊下があり抜けると都久夫須麻神社に出ます。

また、観音堂左手の石段を登ると本堂に行けます。

船では若い作無衣姿のお坊さんと一緒でした。
始めはここのお寺さんの方かと思いましたが違いました。
私と同じ目的の方でした。この後、三十二番さんまでほぼ同じ行動を取ることになりました。

観音堂(唐門)

舟廊下

観音堂(唐門)
第三十一番
姨綺耶山
 長命寺
 【千手十一面聖観世音菩薩】

山門
長浜から琵琶湖沿いを南下、参道入り口からの石段は808段あるそうです。

 「さあ、上るぞ」

と向かいました。。。が、お寺さんに着くと車がかってに?登って山腹の駐車場についてしまいました。

ので少しだけ石段を登りました。

ここで先ほどのお坊さんに出会います。この方は下から登って来たようです。

なんとなく悔しい。

本堂
第三十二番
繖山
 観音正寺
 【千手千眼観世音菩薩】

石段
 
 ここは西国三十三ヵ所の中でも難所と呼ばれる所。
車で中腹まで行けますが先ほどは車が勝手に登ってしまったので車に今度は行くなと言い聞かせて登山道へ。

石段が続く、それでも30分程の登りだったでしょうか。

本堂は平成5年に焼け、平成16年に再建されたものだそうです。

本堂では先ほどのお坊さんにまた出会います。
中腹の駐車場から来たようです。

 
「勝った」(煩悩はまったく抜けません)

最後のお寺さんは明日にして、本日はこの後「安土城跡」、国宝「彦ニャン城」を巡りました。

本堂
 平成21年7月28日
 
第三十三番
谷汲山
 華厳寺 
  【十一面観世音菩薩】

仁王門
 
 いよいよ西国さんも最後となりました。

ここ華厳寺さんはそんな雰囲気を持ったお寺さんです。

なんとなくしんみりとした気持ちで参道を本堂へと向かいました。

今から約千二百年前、奥州会津に住む大口大領という観音信者が夢のお告げを受けたことに始まるとのことです。

こちらには”現在”を表す本堂の御詠歌、本堂の左手にある”未来”を表す芨擢堂の御詠歌、さらに左手の石段を登った所にある”過去”を表す満願堂の御詠歌の3つがあります。

御朱印もこの3つの御朱印を頂きます。

帰りには仁王門横にあるお土産屋さんで「満願みやげ」と印刷されたおまんじゅうを購入です。
(別に自慢したい分けではありません)

ついに「満願」となりました。

ありがとうございました。

石柱

本堂
 

満願堂と私
 

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