猿島坂東三十三観音霊場  第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 新八番 掛所
神田山 延命院 神田山 正覚院 妙音寺 八幡山 無量院 宝蔵寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
観音堂は宝永七年(1710年)、関宿藩主・牧野成春候の寄進によりもの。

札所本尊の聖観音は伝教大師・最澄の作と伝えられている。

観音堂の右手には不動堂があり、裏には大きなカヤの木の麓に平将門の胴塚があります。

将門山と呼び胴体が埋められていると伝えられているそうです。
二十八番さんからすぐ、観音堂は本堂の左手、新しい観音堂が建っています。

新八番となったのは昭和五十二年の開帳の時からだそうです。

お堂に入ろうと靴を脱いだ時寒さのせいか、足の指がつりました。。。
伝えによると、観音堂は村内の菅生沼の近くにあったものを移築したといわれている。

掛所となっており、ガイドブックには載っていますが霊場案内図には載っていないので、参拝者は他の札所に比べ少ないみたいですね。
平成25年03月30日 平成25年03月30日 平成25年03月30日
第二十九番 第三十番
東谷山 補陀落院 泉福寺 小泉観音堂 密厳山 観音院 大安寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
寺伝によると、僧・行基の創建、法相宗に属し、末寺十三ケ寺を、周囲に三十六坊を持つ大寺院であった。

札所本尊の聖観音は行基作、創建当時は本尊として崇められていた。

外からだとお顔が見えないので覗き込むようにしていたらご住職が「中へどうぞ」と言ってくれたので上がらせて頂きゆっくりと拝ませて頂きました。
かつて明学院という寺があり、観音堂は明学院が支配する境外伽藍だったそうです。

観音堂は「左甚五郎」が造った「一夜造りの観音堂」と呼ばれているそうです。

ここも参拝者は少ないですね。
本尊は等身大の聖観世音菩薩像、観音堂は昭和60年に解体され旧猿島町の逆井城跡公園に移築されたそうです。

「写真も自由にどうぞ」ということで、上がらせて頂き沢山撮らせて頂きました。
平成25年03月30日 平成25年03月30日 平成25年03月30日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
太平山 浄国院 観音寺 医王山 佐々木寺 地蔵院 補陀落山 極楽院 長谷寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
今から四百年前、下野(栃木県)の大平山から観音寺が移り開基された。

山号の大平山はこれに由来するのだそうです。

観音堂の横に船が置いてあるのですが、ガイドブックを見ると、昭和4年のある巡礼者の覚書に当時展示した飾りものに「義民佐倉惣五郎の甚兵衛の渡し」等が記されているとあるのでそれですかね。
縁記では利根川の対岸にあった目吹城の城主・佐々木氏との係りからこの寺号が付いたと伝えられている。

観音堂は本堂の右手です、お手綱は写真の千手観音の裏側に繋がっているようにみえるので、この観音様はお前立ちでしょうか。
札所本尊の十一面観世音菩薩像は大和・長谷寺のご本尊と同じ霊木から造られたとされるそうです。

平安時代、坂上田村麻呂が奥州平定に赴くおり、戦勝祈願のため当寺に安置されたと伝えられる。

「結願の証」を頂き巡礼の旅も終わりとなりました。
平成25年03月30日 平成25年03月30日 平成25年03月30日
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