承和元年(834年)、天台宗の慈覚大師の創建にして、大師が手ずから刻んだ観音像が本尊と伝えられる。
伝説では、信濃錫巡中の大師がこの地を訪れた際、土地の民を苦しめる龍を封じるため、沼のほとりで修法を行ったところ、功徳を得た龍の昇天とともに霧が晴れ、柳の大木が現れた。
その柳を伐って、木の上部でつくった仏像が、当時の聖観音という。
ご朱印はお堂の近く、又は全芳院さんで頂きます。全芳院さんでは音楽鑑賞会が開かれていました。 |
牛に化身した聖観音に白布を奪われた老婆が、善光寺まで追いかけて仏教に帰依するようになったという「牛に引かれて善光寺参り」伝説ゆかりの寺院である。
寺伝によると神亀元年(724年)、僧・行基の創建で、本堂のほか花成寺、額願寺、真福寺、一宝寺、神興寺、慈現寺の六ヶ寺が岩窟に伽藍を造営。
懸崖に建立した観音堂を中心とする仏道修行の聖域だったとされる。
朱塗りの観音堂は鎌倉時代の様式をよく伝えており、建築・美術史上きわめて貴重とされ、国の重要文化財に指定されている。
お堂までは結構登ります。 |
僧・行基が手ずから刻んだ聖観音像を奉安したのが創建とされ、大同年間(9世紀初頭)に坂上田村麻呂が東征の折、この地に堂宇を建立したと伝えられる。
本尊の木造聖観音立像は、行基より時代が下がる藤原時代中期(900年代)の作。
傷んではいるがふくよかな表情をたたえた美しいお姿が特徴。江戸末期、日照りに苦しむ村人がワラでつくった龍にこの観音様が生命を与え、たちまちに雨を降らせたという伝説があり、雨乞いのご利益で知られている。
車でも結構大変な所にあります。
昔の人はどうしていたんでしょう。 |