第二十八番 |
晴雲山 三光院 |
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十一面観世音菩薩 |
正中元年(1324年)、宗仙によって開創されたと伝えられている。
沼田氏の帰依が深く、享録三年(1530年)、沼田顕泰により沼田城の築城が始まり、当院も城下に移された。
沼田氏の三度の移城とともに寺を移し、法灯を照らしたことから、三光院と称されたという。
本尊の十一面観世音菩薩像は木造寄木造りの立像で、高さ186㎝の漆箔仕上げ、両眼は水晶の玉眼入り。
文永十一年(1274年)の制作であることが修理の際に判明したそうです。
昭和二十九年に県の重要文化財に指定された、鎌倉彫刻の傑作とされている。
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平成22年9月25日 |
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第二十九番 |
青龍山 吉祥寺 |
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聖観世音菩薩 |
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歴応二年(1339年)、建長寺四十二世・中岩円月禅師により開かれた。
鎌倉武士の大友氏の領地であり、九州に移転して大名であった大友氏が、先祖の発祥の地に聖地建立と先祖の供養を兼ねて寺を建てたのが始まりだそうです。
建長寺の中核寺として高い格式を持っている。
山門は文化十二年(1815年)の建立、二階には文殊菩薩を中心に、十六高弟の羅漢像が鎮座しています。
別名「百花園」とも呼ばれ、春から秋にかけて季節の草木の花が咲き乱れ、晩秋の紅葉の美しさは格別のものだそうです。
庭園もきれいに整備されており、時間があれば滝(清龍の滝)などを眺めながらゆっくりと過ごしたいお寺さんです。 |
平成22年9月25日 |
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第三十番 |
慈眼山 神宮寺 |
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聖観世音菩薩 |
旧記では、当寺は長泉寺と称され、比叡山末寺として寛弘年中に開創、安置される聖観世音は恵心僧都の作といわれているが不詳。
恵心僧都は寛仁元年(1017年)に没したが、それ以前に観音堂は建立され、聖観世音菩薩像は安置されていた。
北隣の天満宮の当たりに、宝永四年(1707年)再建されたが明治維新の神仏分離により観音堂は解体され、本尊の聖観世音は当寺が安置することになったそうです。
天和二年(1682年)、天満宮を再建(中興)別当寺となるとあります。 |
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平成22年9月25日 |
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第三十一番 |
第三十二番 |
威徳山 長松寺
(ざる観音) |
施無畏山 正円寺 |
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十一面聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
草創は元享年間(1321年頃)といわれ、舜海上人の開山とされている。
始めは蕎麦石(現在は利根川の河床というところに建立されたが、水害で元屋敷に移り、さらに火災により現在地の高台に再建されたのだそうです。
右の写真の観音堂は駐車場のすぐ側にあります。
本堂西側の書院には「上州七福神」の一つ「寿老尊天」が祀られています。 |
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現在地に開創された年代・由緒の資料はなく、寛文年中(1661~1672年)のころ、地域住民の信仰の場として存在していたようとのことです。
明治十八年の本山である比叡山・延暦寺への届書によれば「開基 不詳 但し 寛文年中 尊栄代中興、その後大破 寛延三年(1750年)、良寛代修繕す、再中興の旨申伝へ・・・」とあります。
本堂は昭和四十年の新築。
「上州七福神」の「福禄寿尊天」が祀られています。 |
平成22年9月25日 |
平成22年9月26日 |
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第三十三番 |
華敷山 慈眼寺 |
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聖観世音菩薩 |
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縁記によると、聖武天皇の御宇(740年)奈良東大寺の良弁僧正により開創。
弘法大師が東遊のみぎり、当山に立ち寄り護摩修法されたといわれる。
文和年間(1350年)、築紫の人、乗弘大徳が諸国巡鍚中、寺の南方の塚に聖観音のあることを感知され、これを拝して寺の本尊とし中興開山したと伝えられる。
高野山真言宗に属し、将軍足利尊氏は深く帰依し資財を献じて堂宇を建立、伽藍を整備し関東の高野山ともいわれたとのことです。 |
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平成22年9月25日 |
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特別霊場 |
特別霊場 |
白岩山 長谷寺
(白岩観音) |
五徳山 水澤寺 |
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十一面観世音菩薩 |
十一面千手観世音菩薩 |
坂東三十三観音霊場の第十五番札所になります。
本尊の十一面観世音菩薩は「坂東霊場記」によると、郷士の高崎氏が厄年を恐れていたとき、一人の旅僧に宿を提供したところ、旅僧はそのお礼にと役行者ゆかりの地に生えていた楊柳の木で、大和・長谷寺の十一面観音を摸したお像を作り与えたという。
その旅僧が行基であったと伝えている。 |
坂東三十三観音霊場の第十六番札所になります。
推古天皇のとき、上野の国司・高光中将菩提のため、高麗来朝の僧・恵灌僧正を南都から招き、伊香保御前御守の千手観世音菩薩を安置して建立したとあります。
観音堂は元録年間(1688~1703年)の再建。
伊香保温泉から約4kmのところにあります。 |
平成22年9月4日 |
平成22年9月25日 |
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特別霊場 |
高崎観音 慈眼院 |
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白衣観世音菩薩(前仏)、聖観世音菩薩 |
慈眼院は昭和十五年、請われて高野山から当地に移転したものだそうです。
もとは小田原在にあった北条氏の信仰の篤い寺で、寛喜年間(1229~32年)、鎌倉幕府二代執権の北条義時の三男、重時の創建で高野山内にあったとのことです。
白衣観音は昭和十一年の建立、像高は41mあり慈眼院のお前立となっています。
観音山の中腹に有り遠くからも良く見えます。
新上州三十三観音霊場の満願の暁にはお礼参りをするお寺さんになっています。 |
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平成22年9月26日 |
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