駿河一国観音霊場  第二十八番~第三十三番・番外
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
藤沢山  妙善寺 円通山  福聚院 赤野山  広大寺
(赤野観音)
十一面千手観世音菩薩 准胝観世音菩薩 十一面観世音菩薩
天平年間(729~49年)、聖武天皇の勅願によって、行基菩薩が観音さまを刻んで当山に納めたという伝承がある。

十一面千手観音は室町時代の作で、この地方においては制作年代の古い優秀なものである。

守護神の広目天・多聞天の立像が脇侍仏として安置されている。

写真は観音堂です。
寺伝によると、開創は行基菩薩、開基は長円和尚というが、その由緒は明確に伝承されていない。

寺の記録によると、元録十一年(1698年)に再興されたと伝えられていることから、一時断絶していたと思われる。

国史跡の浅間古墳があり、その入り口にお寺さんがあります。
寺伝によると、開創年代は不詳であるが、阿闍梨胎情が寺を開いたという。

天文十五年(1546年)に十三世の良宥法印が中興した。

十一面観世音菩薩は行基作と言われ、天平九年(737年)三月にこの地に安置された。

赤野観音と呼ばれ広大寺から車で5分ほどの所にお堂があります。

観音堂の裏側には西国三十三ケ所を巡礼したと同じ価値のある観音石造が三十三体並んでいます。
平成23年5月1日 平成23年5月1日 平成23年5月4日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
千本山  長谷寺 安養山  蓮光寺
(元円通寺)
東海山  潮音寺
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 亀鶴観世音菩薩
寺の縁記によると、弘法大師が勅願勅を奉じて伊豆駿河巡錫の時、鎮護国家祈願の道場として創立いたという。

本尊の十一面観音は駿河湾に沈められていたが、大岡荘地頭が魚網で揚げ、祠にお祀りしていると、弘法大師がお通りになり、勅命によって殿堂を建立したという。

地元では「浜の観音さん」として親しまれている。

変わった作りのお堂ですね、何作りというのでしょうか?
寺伝によると、昔この地に牧之御所という建物があった。

貞永年中(1232年)将軍・頼経京師が東海道往来の旅館として使用していたという。

建長(1249~55年)のころは、北条時頼が巡国のときにしばしばここを宿として、弾正三昧を修めたことから大岡院として知られていた。

以来、僧侶修学の道場となり、天中年中(1532~54年)に駿河の国主・今川義元も寺領を寄進している。

後、浄土の教師院を市中に移し、単独で安養山蓮光寺と改めた。
弘仁年中(810~824年)に弘法大師が伊豆修善寺に向かう途中、この地をお通りになった。

その時感応があって、聖観世音菩薩を刻み、一宇を建立してそこに安置したと伝えられる。

明治政府の神仏分離政策実施までは、亀鶴山観音寺と呼ばれていたという。

源頼朝のお召しを辞退し黄瀬川の百沢の滝に入水した亀鶴姫の碑を建て寺を建立したのが草創と伝える。
平成23年5月4日 平成23年5月4日 平成23年5月4日
番外
日金山  東光寺
地蔵菩薩
仁徳天皇の時代に、松葉仙人が開創したという。

応神天皇のころ、どこからともなく一人の仙童が来て、ここに不思議な鏡を祀り、小さな祠を建てた。

このあたりに生える松葉と松茸のようなものしか食べないため「松葉仙人」と呼ばれた。

その後、弘法大師がこの寺に来て、松葉仙人の遺徳を偲んで地蔵堂を建立したという。

また、源頼朝が中興した。
平成23年5月4日
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