寺の縁記によると、弘法大師が勅願勅を奉じて伊豆駿河巡錫の時、鎮護国家祈願の道場として創立いたという。
本尊の十一面観音は駿河湾に沈められていたが、大岡荘地頭が魚網で揚げ、祠にお祀りしていると、弘法大師がお通りになり、勅命によって殿堂を建立したという。
地元では「浜の観音さん」として親しまれている。
変わった作りのお堂ですね、何作りというのでしょうか? |
寺伝によると、昔この地に牧之御所という建物があった。
貞永年中(1232年)将軍・頼経京師が東海道往来の旅館として使用していたという。
建長(1249~55年)のころは、北条時頼が巡国のときにしばしばここを宿として、弾正三昧を修めたことから大岡院として知られていた。
以来、僧侶修学の道場となり、天中年中(1532~54年)に駿河の国主・今川義元も寺領を寄進している。
後、浄土の教師院を市中に移し、単独で安養山蓮光寺と改めた。 |
弘仁年中(810~824年)に弘法大師が伊豆修善寺に向かう途中、この地をお通りになった。
その時感応があって、聖観世音菩薩を刻み、一宇を建立してそこに安置したと伝えられる。
明治政府の神仏分離政策実施までは、亀鶴山観音寺と呼ばれていたという。
源頼朝のお召しを辞退し黄瀬川の百沢の滝に入水した亀鶴姫の碑を建て寺を建立したのが草創と伝える。 |