庄内札所三十三観音霊場   第二十八番~第三十三番・番外
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
新山  龍覚寺 修行山 南岳寺 高寺山 照光寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
二十七番さんから向かいました。

起源は約830年前、当時の羽黒山は険しい霊窟で参拝者にとって登るのが困難な山であった。
そのためご本尊の御分身を勧請し羽黒山の別院として、旧鶴岡城の西、三の輪の創建されたのが始まりだそうです。
二十八番さんから向かいました。

観音堂は元録十五年(1702年)花街として栄えた七日町(現本町)に建てられたが、明治の火災によって全焼、寺と共に現在の南岳寺に合併されたそうです。

本尊の聖観世音菩薩は聖徳太子の作と言われています。
四番さんから向かいました。

養老二年(718年)、出羽三山を開いた蜂子皇子の創立とされている。

ご開帳は三十三年に一度。

こちらは庄内三十三札所の別当事務局だそうです。
平成22年5月2日 平成22年5月2日 平成22年5月2日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
湯殿山 注連寺 太白山 吉祥寺 金峰山 青龍寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
九番さんから向かいました。

天長二年(825年)、弘法大師の開基。
湯殿山参拝は女人禁制だったため、女性のための参拝所として大師が建立したのが始まりだそうです。

湯殿山に関係する寺院の中ではもっとも古いとのことです。
三十一番さんから向かいました。

正平元年(1346年)、金沢の大乗寺五世・徹山旨廊禅師が注蓮寺に滞在していた折り、大梵寺城主であった武藤持氏の大病を治したことに始まる。
持氏公は感謝の意を表すために当寺を建立、開山を旨廊禅師としたとあります。
三十二番さんから向かいました。

寺の創立には多くの説があるがは弘仁二年(812年)、慈覚大師の開基との説が有力だそうです。

金峰山の登山口にありこじんまりとしたお寺さんです。
平成22年5月2日 平成22年5月2日 平成22年5月2日
番外 おまけ その1
慶光山 観音寺 出羽三山神社
十一面観世音菩薩 一番さんの近くです。

延喜式によれば、月山神社は名神大社、出羽神社は小社に列せられた古社であったが、明治維新の神仏分離を経て、月山神社は官幣大社に、出羽・湯殿山の両神社は国幣小社に列せられた。

右上の写真は随神門(ずいしんもん)と言い、仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けたとあります。
山内には五重塔があり国宝です。

神仏分離の影響で神社内に山門とか五重塔があるんですね。

ちなみに九番の大日坊さんは京都の三十三間堂よりも大きな四十四間のお堂があったが、神仏分離に従わなかったため焼かれたそうです。
二十番さんから向かいました。

慶長六年(1601年)、志村伊豆守光安が亀ヶ城にいった際、観音像を二の丸に遷座したのが始まりだそうです。

この観音像は最上義光公が豊臣秀吉より譲り受け、それを光安公に贈ったものとのことです。
平成22年5月1日 平成22年5月3日
おまけ その2
出羽三山奥宮 湯殿山神社
湯殿山神社には社殿がなく、御神体は熱湯の出る茶褐色の巨大な霊巌です。

湯殿山は神の世界ゆえ、古来より人工は許されず社殿を設けないとのことです。

お参りは裸足で行います。
裸足になってご神体に登拝するのは、大日如来と一体になって感得するためだそうです。

江戸時代には、西の伊勢参りに対して、東の奥参りと称して両方をお参りする事が重要な「人生儀礼」の一つとされていたとのことです。

右上の写真は本宮入口付近から参拝所の大鳥居を撮ったものです。
(本宮内は撮影禁止のため写真がありません)
平成22年5月3日
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