第二十八番 |
第二十九番 |
大慈山 円照寺 |
洞雲山 玉林寺 |
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十一面観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
天平の昔、国分寺屋根の布目瓦を焼いた跡地で、行基菩薩の草創という。
天正十五年(1587年)、大安慶大和尚の法孫・明岳哲和尚を中興開山とする。
延宝六年(1678年)、初代地頭・朝倉織部正豊明の再興開基。
同氏は観音信仰の念篤く十六代に亘り、寺領および其の周辺を観音霊場として守護、それに因み寺の山号を大慈山と号した。 |
仙石山寿福寺の11世・蔵雲法沢西庵和尚の開山。
臨済宗建長寺派の古い寺院であり、境内の東南につづく山にあった総鎮守観音堂の別当寺として慶長ニ年(1597年)に創建されている。
その観音堂は境内の右手にあり、恵心僧都の作と伝えられる聖観世音菩薩像ほか33体の観音像が安置されている。
寺蔵文書の「弘法大師御作念本尊如来略縁起」によれば、ある念仏行者が文化十三年(1816年)8月8日に玉林寺を訪れ、本尊を拝したときから災厄消除・安産守護の功徳があるとして結縁を望む者のため巡行が行われるようになったという。 |
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平成23年7月9日 |
平成23年6月25日 |
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第三十番 |
第三十一番 |
神王山 観音院 妙見寺 |
岩船山 大智院 高勝寺 |
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聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
創建年代は不詳ですが、天平宝字四年(760年)の創建とも天永三年(1112年)の創建ともいい、妙見宮を残し、現在に至るまで神仏混淆の残る寺院です。
除地、凡五段、小名中谷にあり。神王山観音院と号す。
天台宗、江戸東叡山の末寺なり
観音堂。本堂に向て左にあり、三間四方。十一面観音長一尺ばかり。木の坐像。(新編武蔵風土記稿より) |
元京都仁和寺の直末で、かつては近隣二十余ヶ寺の末寺を有した。
聖観世音像は平安末期造立の御墨付きで東京都の重文に指定されている。
また数奇な運命の伝説があり、中でも「坂浜の一番鶏」の民話から除災招福の霊験ありと信仰を集めている。 |
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平成23年7月9日 |
平成23年7月9日 |
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第三十二番 |
第三十三番 |
金剛山 源正寺 |
龍門山 高安寺 |
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南無如意輪観世音菩薩 |
七観音 |
当時この地域を治めていた北条家居・太田対馬守盛久の開基。
天文六年(1537年)、南樹法泉和尚が開山となり創建されました。
昭和三十七年には開山四百五十年記念の法要がとり行われました。 |
平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。
暦応年間(1340年前後)、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き臨済宗の禅寺に改めて再興した。
この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。
江戸時代初期には海禅寺(現在の青梅市)の末寺に入り、宗派も曹洞宗と改めた。 |
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平成23年7月16日 |
平成23年7月17日 |
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第三十四番 |
客番 |
岩子山 千手院 |
浮岳山 昌楽院 深大寺 |
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千手千眼観世音菩薩 |
如意輪観世音菩薩 |
寺伝によれば聖武天皇(724~49)のころ僧・行基によって開創され、たびたびの兵火で堂宇を焼失するが、天正年間に僧・恵満が再興している。
その後学僧たちの修行の場となり、寺は盛んであった。
昭和四十七年再建の本堂に奉安の修行大師像は天保五年(1834年)四国より流れ着いた等身大の尊像で、脇士に白衣観音と毘沙門天を、また、奥ノ院には十一面観世音と文殊菩薩が奉安されている。
多摩新四国霊場第十二番、武相観音霊場六番の札所になっている。 |
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天平5年(733年)、満功上人(まんくうしょうにん)によって開創されたと伝えられています。
正式名称を天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺といいます。
浮岳とは遥かに遠くを望み山が浮かんでいる様に見えるところから呼ばれ、遠来の際に目印にしたと思われています。
別格本山とは 天台宗本山比叡山延暦寺の下に 七つの門跡寺院(皇族が門跡となった上野の東叡山寛永寺、日光東照宮の輪王子等)に次ぐ寺格を持つ天台宗寺院をいいます。 |
平成23年7月9日 |
平成23年7月2日 |
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