昔、岩滑村に堂塔を並べた古刹があったが、戦国時代、戦乱に巻き込まれ、地蔵堂と観音堂を残して灰になってしまった。
その後、寛文十二年(1672年)十月、大洪水に襲われ観音堂は御本尊ともども失われてしまった。
しかし、御本尊はその後、村内の山ぎわで発見さて、元録四年(1691年)、村の真言宗修験道繁昌院中島家先祖が自宅内に堂宇を建て、これを祀ったのが始まり。
ガイドブックの住所はお堂から400mほど離れているようです。
ガイドブックの地図を見れば場所は分かります。 |
天平元年(729年)、聖武天皇勅願、行基による創建という。
「土方村郷士史」によると元久元年(1204年)、今龍寺の前身、正龍寺十二坊観音堂が建立され、元和元年(1615年)、今龍寺と改称されたとのこと。
真言密教の道場として繁栄し、多くの信者を集めたが、戦国時代に入り、武田、徳川の高天神城を巡る攻防の際に戦火を受けて焼失。
元和八年(1622年)、当地の人々により再興。 |
天平十三年(741年)、行基上人の創建。
弘仁の頃(810〜24年)、空海が行脚、真言密教の道場としてここに金剛頂経(真言宗の根本経典)一巻を奉納。
足利尊氏は圓教僧都を中興の開山としてここを、丸谷山平林寺と改め、また、足利義満の時、佐束山岩井寺と改めた。
永録〜天正年間(1558〜92年)、武田軍の度々の乱入により七堂伽藍の全てを焼失。
慶長年間(1596〜1615年)、横須賀城主・大須賀康高が当山に帰依、現在の伽藍の一部を寄進したものと伝えられている。 |