遠江三十三観音霊場  第二十八番〜第三十三番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
拈華山 正法寺 国源山 正林寺内 磯辺山 宝殊山 盛岩院内 青木寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
天正二年(1574年)の創建、堀田城々主・堀田正法が開基となり龍雲院三世・実伝宗貞を招いて開創。

安政三年(1856年)冬、失火により諸堂ことごとく焼失も本尊はその厄を免れたが明治の廃仏毀釈に阻まれ、小堂を建立するに止まった。
現在の堂塔は大正十八年(1925年)の竣工。

本尊の聖観世音菩薩像は鎌倉の仏師運慶の作とされる。

一般にその地から「八ツ谷観音」と呼ばれている。
永正十四年(1517年)、駿府城主・今川義忠の嫡子・氏親が父の菩提を弔うため国源山昌桂寺を開いたのが始めという。

天文二十年(1551年)、昌林寺と改められ、関が原の合戦の頃に正林寺と改められた。

境内には今川義忠の墓、開山堂には義忠の木像が祀られている。
天文八年(1539年)、青龍院の覚仲素文が盛岩院二世となり、塔堂を建て弘法大師作と伝わる聖観世音菩薩を祀って青木寺と号したという。

青木寺観音堂所蔵の鰐口には、「遠江州笠原庄岩滑郷新福寺、時長録戊寅二年三月吉日、願主大工十朗」とある。

新福寺は青木寺の前身かと思われる。

本堂左手に観音堂があり、これが「青木寺」です。
平成23年2月5日 平成23年2月5日 平成23年2月5日
 第三十一番 第三十二番 第三十三番
紅梅山 菊水寺 如意輪山 今瀧寺 佐束山 岩井寺
千手千眼観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 聖観世音菩薩
昔、岩滑村に堂塔を並べた古刹があったが、戦国時代、戦乱に巻き込まれ、地蔵堂と観音堂を残して灰になってしまった。

その後、寛文十二年(1672年)十月、大洪水に襲われ観音堂は御本尊ともども失われてしまった。

しかし、御本尊はその後、村内の山ぎわで発見さて、元録四年(1691年)、村の真言宗修験道繁昌院中島家先祖が自宅内に堂宇を建て、これを祀ったのが始まり。

ガイドブックの住所はお堂から400mほど離れているようです。
ガイドブックの地図を見れば場所は分かります。
天平元年(729年)、聖武天皇勅願、行基による創建という。

「土方村郷士史」によると元久元年(1204年)、今龍寺の前身、正龍寺十二坊観音堂が建立され、元和元年(1615年)、今龍寺と改称されたとのこと。

真言密教の道場として繁栄し、多くの信者を集めたが、戦国時代に入り、武田、徳川の高天神城を巡る攻防の際に戦火を受けて焼失。

元和八年(1622年)、当地の人々により再興。
天平十三年(741年)、行基上人の創建。

弘仁の頃(810〜24年)、空海が行脚、真言密教の道場としてここに金剛頂経(真言宗の根本経典)一巻を奉納。

足利尊氏は圓教僧都を中興の開山としてここを、丸谷山平林寺と改め、また、足利義満の時、佐束山岩井寺と改めた。

永録〜天正年間(1558〜92年)、武田軍の度々の乱入により七堂伽藍の全てを焼失。

慶長年間(1596〜1615年)、横須賀城主・大須賀康高が当山に帰依、現在の伽藍の一部を寄進したものと伝えられている。
平成23年2月5日 平成23年2月5日 平成23年2月5日
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