東海三十三観音霊場 
 第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
醫王山 世尊院 安養寺 光明山 遍照院 海照山 品川寺
如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
水月観世音菩薩
十七番さんから向かいました。
5分位で着きます。

京急雑色駅からだと15分位です。

通称「古川薬師」という、行基(688〜749)の開創であるという説がある。
江戸時代は、江戸近郊巡遊の名所として池上本門寺、神殿神社、川崎大師などとともに巡遊する庶民が多かったとあります。

(「六郷地区 寺院・歴史マップ」より:二十三番さんで頂きました)

この後、ご朱印を頂きに再度二十二番さんに向かいます。
十一番さんから10分程です。
東急多摩川線の矢口駅からだと5分もかからないと思います。

この後、十番さんに向かいます。
三十一番から歩きました。
一駅少し、15分位で着きます。
京急青物横丁駅からは直ぐです。

この辺りは旧東海道の品川宿のあった所で今でも雰囲気が残っています。

江戸三十三観音霊場の第三十一番札所でもあります。
 こちらの方が有名ですね。
平成22年1月30日 平成22年1月30日 平成22年2月6日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
東輝山 薬王寺 自性山 宝泉寺 恵日山 明長寺
馬頭観世音菩薩 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩
二十三番さんから20分位の歩きです。
京急雑色駅からだと10分位です。

ご住職がご不在で1時間位で戻られるとのことでしたので、十七番、十九番さんを打ってから再度訪れご朱印を頂きました。

当寺がいつ創建されたかは定かではない。ただ開山とされる有範の没年が延宝5年(1677)といわれている。
また寛文2年(1622)建立の石造地蔵菩薩、さらに正保2年(1645)の戒名があるので、少なくても1640年頃には当寺が存在していたと考えられるとのことです。

(「六郷地区 寺院・歴史マップ」より:二十三番さんで頂きました)

この後、十二番さんに向かいます。
十八番さんから20分位の歩きです。
京急雑色駅からだと10分位です。


京都東山七条・智積院を総本山とする。
当山の縁記、創建年代の詳細は不明だが、寛永9年(1632)2月23日入寂の裕賢和上をもって中興開山としているとのことです。

(「六郷地区 寺院・歴史マップ」より:こちらで頂きました)

この後、二十二番さんに向かいます。
二十八番さんから歩きました。
多摩川を渡って行きます。
20分位はかかったでしょうか。

川崎大師さんの近くです。

この後は結願寺の川崎大師平間寺です。
平成22年1月30日 平成22年1月30日 平成22年2月6日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
常榮山 自性院 喜修山 正蔵院 御幡山 宝珠院 建長寺
聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
十一番さんから歩きました。

3km位はあると思います。
50分程の歩きです。

京急大鳥居駅からだと10分位だと思います。
二十五番さんの直ぐ側です。

とちらも産業道路沿いに有ります。

ご近所の方と思われる人が結構お参りにこられていました。

この後は二十八番さんに向かいます。
十五番さんから歩きました。
20分位だったと思います。

京急六郷土手駅からだと10分はかからないと思います。

別称「赤門の寺」と呼ばれる。総本山は京都市東山区東山七条にある智積院である。
寺伝によると開祖は、人皇第70代後冷泉天皇の天喜5年(1057)鎮守府将軍源頼儀が奥州征定のw、隅々この地に来り一樹の老杉に源家の什寛白幡を懸けて戦捷を祈願した。奥州を平定しての帰路、戦功の霊を祈願する白幡を奉じて八幡宮(現在の六郷神社)を修造し、傍らに一宇を建立し御本尊に阿弥陀如来を奉安して御幡山と号したとあります。
(「六郷地区 寺院・歴史マップ」より:二十三番さんで頂きました)


この後、十八番さんに向かいます。
平成22年2月6日 平成22年2月6日 平成22年1月30日
観音霊場の旅トップに戻る 第二十八番〜第三十三番・番外へ