当地にあった天台宗行人派の羽黒山願鷹寺の末寺、日鷹寺の境内にあったが、廃寺の後、根本組中に移され集落の守護仏として移され今日に至っている。
ガイドブックには観音堂の写真が載っていますが、今回の御開帳では集会所に祀られていました。
観音堂は何処にあったのでしょう? |
文和四年(1356年)、守悦和尚の創建と伝わる。
その後、歴代の記録はとぎれているが、慶長久年(1604年)の地検帳に東陽庵の名がある。
そのころは寺院になっておらす、寺請制度が施行されてから東陽寺と号するようになったものと思われる。 |
「新編相模風土記」によると、古義真言宗高野山・慈願院末、開山開雄、仁和元年(1240年)三月二十日寂す、本尊不動、慶安元年七石九斗の御朱印を賜う。とあるそうです。
本尊・薬師如来は行基菩薩の正刻と伝え、秘仏で拝観は許されないとのことです。
今回はこちらが打ち止めのお寺さんとなりました。 |