津久井観音霊場  第三十七番~四十三番
 
第三十七番 第三十八番 第三十九番
根本観音堂 大奥山 東陽寺 小澤山 東林寺
如意輪観世音菩薩 慈母観世音菩薩 十一面観世音菩薩
当地にあった天台宗行人派の羽黒山願鷹寺の末寺、日鷹寺の境内にあったが、廃寺の後、根本組中に移され集落の守護仏として移され今日に至っている。

ガイドブックには観音堂の写真が載っていますが、今回の御開帳では集会所に祀られていました。

観音堂は何処にあったのでしょう?
文和四年(1356年)、守悦和尚の創建と伝わる。

その後、歴代の記録はとぎれているが、慶長久年(1604年)の地検帳に東陽庵の名がある。

そのころは寺院になっておらす、寺請制度が施行されてから東陽寺と号するようになったものと思われる。
「新編相模風土記」によると、古義真言宗高野山・慈願院末、開山開雄、仁和元年(1240年)三月二十日寂す、本尊不動、慶安元年七石九斗の御朱印を賜う。とあるそうです。

本尊・薬師如来は行基菩薩の正刻と伝え、秘仏で拝観は許されないとのことです。

今回はこちらが打ち止めのお寺さんとなりました。
平成26年05月17日 平成26年05月17日 平成26年05月24日
 第四十番 第四十一番 第四十二番
鳥岳山 清真寺 城木山 大蔵寺 南海山 東光寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
文永二年(1265年)、菱山肥後守入道・隆顕大和尚が菱山家菩提のため開基、開山した。

角仁法師が比叡山から山王七社の赤山大権現を現在の「山の神」の場所に祀り、鳥扇郷の祈祷道場とした。

文明五年(1473年)、竜信和尚が信州諏訪大明神を移し山王社に合祀して現在に至るとあります。
大永四年(1524年)、権大僧都圓慶法師による開山。

昔の大井村には寿性院と泉蔵寺の二ヶ寺があったが、津久井湖建設により、昭和40年に両寺が合併して大蔵寺と改められた。

現在の伽藍は天保十三年(1842年)から弘化三年(1846年)に掛けて再建。
文明年間(1469~87年)、阿闍梨真永大和尚によって開創。

往時は護摩堂があり、盛んに大護摩が焚かれたそうです。

境外にある薬師堂には「棘抜の薬師さま」が祀られ、毎年お祭りが行われているとのことです。
平成26年05月17日 平成26年05月17日 平成26年05月17日
第四十三番
月見山 福寿院
聖観世音菩薩
正和二年(1313年)の創建と伝えられる。

創建時は眼下に道志川の清流を見下ろす高台にあり、月が美しく見えることから山号を「月見(がっけんざん山」と称した。

その後、慶長年間に現在地に移転、現在の本堂は1700年代後半に建てられたものだそうです。
平成26年05月24日
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