関東ふれあいの道を歩く  坂尻バス停〜韮尾根バス停
 
 出発:坂尻バス停   終点:韮尾根バス停
歩行時間:約5時間45分

坂尻バス停(8:40)−(9:45)半原越−(10:20)経ヶ岳−(11:35)田代半僧坊(11:55)−(12:45)三増決戦場(12:50)−
(13:35)清正光(13:45)−(14:25)韮尾根バス停
 2003年11月23日(日)        

坂尻バス停
韮尾根バス停を8時40分に出発します、

今日あ歩く17番コースは半原越まで12番コースとの重複コースとなっています。

途中の道
しばらくは舗装された法論堂(おろんど)林道を歩き半原越に向かいます。
     

経ヶ岳
途中、弘法大師が経文を納めたといわれる経石があります。

この山名の由来にもなっているようです。

経ヶ岳(633.1m)到着は10時20分です。

半原越
1時間程の登りで半原越に到着です。
(9:45)

左(写真では右)に向かうと12番コースで仏果山に向かいますが、今日は右(写真では奥)を登り経ヶ岳へ向かいます。
     

途中の道
山頂から尾根道を下って林道(法華峰林道)に出ます。
途中の道
林道を下って行くと国道412号線にぶつかります。
     

半僧坊本堂
創建は古く、弘法大師が法華経を書き写した霊場と伝えられるそうです。

もとは真言宗に属し、始めは永宝寺と称した。

のちに常楽寺となり勝楽寺と変わった。

天文年中、曹洞宗となるとあります。

半僧坊山門
国道を500mくらい歩くと田代半僧坊(勝楽寺)に到着します。
(11:35)
     

三増合戦場
半僧橋の下を潜り、県道を横断すると海底(おぞこ)の集落です。

その先で中津川にかかる角田大橋を渡ります。

戸倉の集落から志田原へ出てしばらく歩くと三増(みませ)合戦場です。(12:45)

永禄12年10月6日(1569)甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康軍とが三増の山野で大山岳戦を展開しましたが、北条軍2万余騎は敗れ小田原に敗走しました。両軍兵力3万3千、死者は4千人といわれています。

清正光
合戦場から志田峠へ、峠から400mほどで清正光(志田山朝日寺)です。
(13:35)

正安元年(1299)、鎌倉実成庵として、中老日実の開基。

明治10年(1877)志田山に朝日清正光大薩を勧請。

昭和9年(1934)鎌倉より移転し志田山朝日寺と改称。

昭和26年(1952)日蓮宗から離脱し、翌年単独の宗教法人となったとあります。
     

韮尾根バス停
再び国道412号線に出て100mほどで韮尾根バス停に到着です。
(14:25)

途中の道
途中には東京農業大学の牧草地などがあります。

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