|
出発:西武吾野駅 終点:小殿バス停 歩行時間:約4時間50分 西武吾野(9:40)-(10:00)東郷公園-(10:25)滝不動(10:30)-(10:35)滝見茶屋- (11:40)子の権現(12:10)-(12:45)豆口峠(12:55)-(13:20)竹寺(13:40)-(14:30)小殿バス停 |
2010年7月10日(土) | ||||
西武吾野駅 |
武蔵野三十三観音霊場の第三十二番の”子の権現”、第三十三番の”竹寺”が関東ふれあいの道のコース上にあることを知り、歩いてみることにしました。 吾野駅は西武が主催するハイキングイベントで賑わっていました。 9時40分に出発します。 |
途中の道 |
多くのハイカーに混じって”子の権現”に向かいます。 | |
滝不動 |
”東郷公園”から林道を登って行きます。 30分足らずで”滝不動”に到着です。 (10:25) ”不動の滝”があります。 |
東郷公園(秩父御嶽神社) |
”東郷公園”を10時に通過。 駅の所の法光寺さんに寄っていたので10時になりましたが、15分位で着くと思います。 こちらは、当地に生まれ育った木曽御嶽山の行者鴨下清八氏がその生涯を賭して整備した、東郷平八郎元帥にも縁深き奥武蔵の公園だそうです。 |
|
滝見茶屋 |
滝不動から2,3分で”滝見茶屋”です。 (10:35) |
山道 |
”滝見茶屋”から少し行くと、道は山道に変わります。 | |
小鳥 |
渋滞を抜けたところで小鳥に出会いました。 巣立ったばかりでしょうか、まだ良く飛べないようです。 周りで親鳥らしき鳥がしきりに鳴いているのが聞こえました。 |
山道(渋滞中) |
”子の権現”の手前で大渋滞になりました。 先で何人かがハチにさされたそうです。 急遽、別の道を作って登ったのですが急登で足場も悪いため渋滞となりました。 |
|
子の権現・山門 |
渋滞で大分時間を取られましたが11時40分、”子の権現”に到着です。 渋滞がなければ”滝見茶屋”から30分くらいだと思います。 正式名は”大鱗山 天龍寺”と言います。 |
子の権現・観音堂 |
天龍寺を開いた”子の聖”は紀伊国天野郷の出身とされる。 母の阿字長者が60歳の時、夢に天竺の高僧が現れ、「我、救世の願あり、願わくば、しばらく汝の胎を借らん」と告げた。 そして、子年にあたる天長九年(832年)、子の月、子の日、子の刻に誕生したことから”子の聖”と呼ばれるようになったとのことです。 |
|
豆口峠(神送り場) |
途中の豆口峠には”神送り場”というのがありました。 昔、悪い流行病などがはやると、村人たちは、夜中大勢で鐘や太鼓をたたいてここに駆け登り、頂上で疫病神を追い払うと言う習わしがあったそうです。 (12:45) |
山道 |
次は”竹寺”を目指します。 ハイカーの方々は”子の権現”までのようで、こちらにはほとんど人影がありませんでした。 |
|
竹寺・本堂 |
峠を過ぎ下って行くと、”竹寺”本堂の裏手に着きます。 こちらの正式名は”医王山 八王寺”と言います。 明治維新の神仏分離をまぬがれた、神仏習合の姿をそのまま伝える貴重なお寺さんです。 本堂は神社建築の社殿となっています。 |
竹寺・鳥居 |
縁記によると、天安元年(857年)、慈覚大師が東国を巡鍚したころ、当地に疫病が蔓延していた。 それを見た慈覚大師は、当地で大護摩を修し、一刀三礼して牛頭天王の尊像を刻んで安置したと伝えられる。 牛頭天王とは、インドの祇園精舎を守護する神だそうです。 |
|
小殿バス停 |
最初は多少のアップダウンを繰り返し、後半は結構な下りをこなして50分ほどの歩きで”小殿バス停”に到着しました。 (14:30) |
指導標 |
ご朱印を頂いたりしてゆっくりたたずんでから”小殿バス停”へ向かいます。 |