僧・徳一が開基し、この村の長者・大木佐馬亮が創建したと伝えられる。
天正十七年(1589年)、伊達政宗の兵乱で伽藍の全てを失い、その後上杉景勝が再建している。
ご本尊は聖観世音であったが、現在は大木氏の念仏仏の十一面観世音が奉安されている。
ご朱印は大木様宅ではありません。
観音堂に案内があります。 |
寺伝によれば、この地へ留鍚した行基菩薩が堂宇を建立し慈福山・千光寺とした。
寺運が隆盛のころは奥の院・西蓮寺を建立して十二坊、三百余宇を有したが、元弘・建武からの兵乱で堂塔は破損、慶長十六年の地震で倒壊。
農民は小堂を建ててご本尊を移遷するが元禄六年、災火でお堂を失う。
その後、お堂を再建し物宝山・良縁寺と称した。
観音堂は300m程離れたところにあります。 |
寺伝によれば、元弘元年(1331年)葦名盛宗によって創建され、そのころは僧坊二十余宇を有した。
天正年間(1573~91年)の兵火で堂宇を焼失し、その後、僧・石伝によって寛文年間(1661~72年)の再建されたのが現在の御堂とのことです。
一方、金泉寺は慶徳寺六世・高照の開山と伝えられている。
お堂にご朱印が頂けるお宅の案内がありました。 |