会津三十三観音霊場  第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
石塚観音(石塚山 蓮台寺) 御山(岩屋)観音(神護山 照谷寺) 左下観音(左下山 観音寺)
聖観世音菩薩 千手? 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
寺伝によると康歴年間(1379〜80年)、葦名直盛の創建。

佐原十朗左衛門んの念持仏であった、一寸八分の聖観世音菩薩を本尊として奉安した。

また、蒲生忠郷の母堂も深く帰依し、千手観世音を奉納、御堂も新築している、

ご朱印は金剛寺さん、ちょっと距離があります。
以前は岩屋観音へは急な坂道があり、巡礼はこの坂道を登ったが、今は別当の照谷寺に観音堂を建築し祀っている。

寺伝によると本尊の聖観世音菩薩は胎内に源義家の守り本尊一寸八分の尊像を納めている。

こちらは鐘を突くことが出来るので心を込めてつかして頂きました。
縁記によれば、天長年間(830年)、僧・徳一の創建という。

駐車場から約800mの登りになります。
でもこの登り、途中までは車でもなんとか行けそうな感じでした。

お堂の少し手前に舗装された結構広い駐車スペースもありました。

ご朱印は大門集落で持ち回りで管理しているみたいです。
平成22年8月11日 平成22年8月11日 平成22年8月11日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
相川観音(空窪山 自福寺) 高倉観音(高倉山 円通寺) 関山観音(日当山 日輪寺)
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
開創は不詳。

観音堂はかつて弁天山の近くにあったが、宝永六年(1709年)の秋から享保二年(1717年)にかけて移建された。

駐車場はないので路駐です。

入口の石段の左手にご朱印を頂ける方の名前が貼ってありましたが、お宅の案内がありません。

仕方ないので前のお宅で聞きました。
天長年間(824〜33年)のころ弘法大師によって開創されたと伝えられる。

当時は高倉山の西側にあったが、正保年間(1644年)西南へ移建され、後に現在地へ再建された。

こちらも駐車場はありません。

この辺りの札所は高台にある所が多いですね、こちらは結構な登りでした。
観音堂はかつては平地にあったが寛政二年(1790年)、現在地に再建された。

ここも駐車場はありません。

現在の納経所はお店の方がやっておられて、お客さん3人とお茶を飲みながら談笑の最中、「冷たいものでも飲んで行きなさい」のお言葉に甘え仲間に入れさせて頂きました。

と言うことで本日はここで打ち止めとなりました。
平成22年8月11日 平成22年8月11日 平成22年8月11日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
領家観音(延命山 常楽寺) 富岡観音(日用山 福生寺) 大岩観音(牛伏山 仁王寺)
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩
寺伝によると、建長元年(1249年)、旅僧・常延の創建といわれる。

天正年間(1573〜91年)に全てを失い、寛文年間(1661〜73年)に僧・尊益によって再興された。

車は境内に停めることができますが、道幅が少し狭く左右が溝になっているのではまらないように注意が必要です。
領家からは500m程、直ぐ着きます。

観音堂は国重文、昔はこの観音堂の管理を妙音寺が行っていたが廃寺となり、慶長十年(1605年)、僧・舜亮が福生寺を創建し別当となった。

十一面観音菩薩坐像は運慶作と伝えられる。

納経は番外札所の龍興寺さんで頂けます。
開創は大同二年(807年)と伝えられる。
観音堂の近くに大きな岩があり、かつてはこの岩の上に観音堂があった。

寛永十三年(1636年)に積雪のため大破し、寛文六年(1666年)に現在地に再建された。

この観音堂ですが4年程前にまた積雪で大破したそうで、今は小さなお堂が建っています。

なお熊が出て危険と言うことで行かない方が良いと言われましたが行ってしまいました。
すみません。。。。。
平成22年8月12日 平成22年8月12日 平成22年8月12日
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