<観音霊場巡礼>
足利三十三観音霊場
 
霊場一覧
令和3年に栃木県の足利市内の33か寺院で足利三十三観音霊場会が組織されました。

かつて盛んだった「三十三観音霊場めぐり」を現代によみがえらせようと、足利仏教会が令和版「足利三十三観音霊場」を選定。

再興は、徳蔵寺(猿田町)の源田晃澄(こうちょう)住職(80)らが中心となって進められたそうです。

札所は市西部から時計回りで、1番が鶏足(けいそく)寺。毘沙門天最勝寺は7番、北条時子ゆかりの法玄寺が10番、最後の33番は本堂が国宝の鑁阿寺。

各札所が納経帳(御朱印帳、1800円)を備え、参拝の証「御朱印」(500円)。
 第一番   仏手山 金剛王院 鶏足寺 聖観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  真言宗豊山派    
 奈良東大寺の定恵(じょうえ)上人が、「鳴山」より生まれた石仏を山の麓に移し、釈迦如来をお祀りして「世尊寺一乗坊」というお寺を建てた。

仁寿元年(851年)、比叡山の円仁上人(慈覚大師)によって、寺の山号は「仏手山」、院号は「金剛王院」と定めた。
栃木県足利市小俣町2748-1 0284–62-0276
 第二番   鹿倉山 無量院 聖観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  真言宗豊山派    
 天慶3年(940)に定海上人により創建
円仁上人、室町時代中頃に現在地の西の山裾に本堂を再建
円奝上人、寛永16年(1639)に現在地に本堂を再建
貞尊上人、享保年間(1716~1735)に山内を整備

近くに鶏足寺(けいそくじ)があり、無量院は鶏足寺の隠居寺であったとの伝承もある.
栃木県足利市葉鹿町2003 0284–62-0841
 
 第三番   白華山 養源寺 円通観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  臨済宗妙心寺派   
約850年前に源義家の三男、足利義国を開基として泰亀円了和尚を迎えて開創されたと伝えられている。
栃木県足利市板倉町155 0284–62-1068
 第四番   鎮護山 正蓮寺 聖観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)   高野山真言宗    
建久年間(1190〜99)に、新田大炊助義重公(義貞公の祖)が、太田金山の鬼門除けに創立した寺院で、開山は鎮如法印。

当時、境内に蓮池があったことから青蓮院と名付けられました。

ところが、行基作の観自在菩薩を安置し、後、徳川家康公から御朱印50石を賜ったとき、誤って正蓮寺と記入されてしまって以来、青蓮院を正蓮寺と言うようになりました。
栃木県足利市粟谷町477 0284–62-1246
 
 第五番   諏訪山 千蔵院 千手観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  真言宗豊山派
山門右手の堂内に閻魔王坐像が安置されています。

堂天井の棟札(むなふだ)には、天保9年(1838)にこの閻魔堂が建てられたことが墨で書かれていて、この閻魔像も江戸時代に作られた事がわかります。
栃木県足利市葉鹿町308 0284–32-1622
 
 第六番   仏光山 浄林寺 子安観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  臨済宗建長寺派
浄林寺には離れがあり、天保3年(1832)に当時の丹南藩(大阪府松原市丹南)の出張陣屋である五十部陣屋の代官岡田立助の勧めで住職の隠居所として建てられたと伝えられています。

岡田氏は中世以来の土豪でその後は当地の有力者として丹南藩主高木家に従い、飛地である足利郡4カ村を統治する五十部陣屋の代官を歴任しました。
栃木県足利市五十部町1172 0284–21-0305
 
 第七番   大岩山 多聞院 最勝寺 慈母子観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  真言宗豊山派
日本三佛・関東最古の毘沙門天です。

毘沙門天は仏教において天部に属する仏神です。

仏法を護る護法善神の一人であり、四天王や十二天に数えられ、北の方角を守護しています。

四天王として祀られる際は「多聞天(たもんてん)」という名で呼ばれます。
栃木県足利市大岩町570 0284–21-8885
 
 第八番   多宝山 福厳寺 子安観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  臨済宗建長寺派
今から約830年前の寿永元年(1182年)に、藤姓足利又太郎忠綱が父俊綱と母の菩提(死後の冥福)を供養する為に理真上人を勧請開山として開創されたと寺伝に記録されています。

その後、南北朝時代の康永二年(1343年)に鎌倉建長寺開山蘭渓道隆(大覚禅師)の法孫、實堂権禅師を開山として禅寺(臨済宗建長寺派)になり現在に至ります。
栃木県足利市緑町1丁目3270 0284–21-6990
 第九番   大祥山 長林寺 聖観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  曹洞宗
当初は東林寺と号し、明応8年(1499)天助高順を開山、岡見左近将監を開基として、常陸国河内荘小茎郷(茨城県つくば市)に開創されました。

天正年間末頃(1590年頃)、常陸国から下野国足利郡山川村(現在地)へと移転してきました。
栃木県足利市西宮町2884 0284–21-5636
 第十番   帝釈山 智願院 法玄寺 白衣観世音菩薩
   令和6年04月14日(日)  浄土宗
足利尊氏の六代先祖の足利義兼の正室であった北条時子姫の菩提のために建立されたと伝えられている。
栃木県足利市巴町2545 0284–21-2790
 第十一番   正義山 法楽寺 子安観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  曹洞宗
足利義氏は、出家後の1249年(建長元年)に、夢で「お告げ」を受け、池から阿弥陀如来像を引き上げ、これを本尊として法楽寺を創建したと伝えられる。

寺の名称は、義氏の法名「法楽寺殿正義大禅門」に因むものとされる。
栃木県足利市本城3丁目2067 0284–21-5884
 
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