<観音霊場巡礼>
足利三十三観音霊場
 
 第十二番   義任山 観音院 吉祥寺 聖観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  天台宗
弘長年間(1261〜1263)、足利氏五代の足利頼氏により創建されました。

本尊は十一面観音、観音堂には聖観音坐像(室町時代・文化財)を安置しています。

6月はアジサイが咲き誇り地元では「アジサイ寺」と呼ばれています。
栃木県足利市江川町245 0284–42-6006
 第十三番   医王山 東光寺 如意輪観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  真言宗豊山派
安永9年(1780)の火災で古記録を焼失し、創建に関わる詳細は不明、江戸時代初期と言われている。

なお、歴代の住職が別当を兼ねた星宮神社が隣接してあります。

明治になった時、神仏分離で虚空蔵菩薩と護摩壇が星宮神社から東光寺へ移され、虚空蔵菩薩に対する進行が東光寺へと移って続いている。
栃木県足利市田島町1195 0284–42-0381
 
 第十四番   名龍山 金蔵院 聖観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  真言宗豊山派
今からおよそ600年前(室町幕府6代将軍足利義教の頃)の永享初年(1429)、足利氏の重臣であった南氏宅跡に、真言宗醍醐寺の俊海法印により開山されました。

池周辺に配された松が池中央に向ってソレゾレ違った枝ぶりで美しい景観を映し出していました。
栃木県足利市名草中町1190 0284–41-9247
 第十五番   南陽山 清源寺 十一面観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  臨済宗円覚寺派
延文2年(1357)の創建。開山は京都東福寺28世大道一以大和尚。開基は南遠江守宗継。

南宗継は正平7年(1352)、足利尊氏から丸木郷を賜り、居館(現・金蔵院境内)を構え、出身地の紀州名草郷の名に変える。

そして居館より乾いぬいの方かた(北西)の勝地に、菩提寺として当時を建立。 

のち鎌倉円覚寺の末寺となる。
円覚寺100観音
栃木県足利市名草中町3513 0284–41-9503
 
 第十六番   医王山 持宝院 聖観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  真言宗豊山派
創建年次は不詳、四世住職(心海)の時、寛保2年(1742)12月17日の火災で古記録を焼失した、近世初期か中世末期の創建か?。
栃木県足利市利保町172 0284–41-1798
 
 第十七番   福聚山 長林寺 十一面千手観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  曹洞宗
明応8年(1499)天助高順を開山、岡見左近将監を開基として、常陸国河内荘小茎郷(茨城県つくば市)に開創されました。

天正年間末頃(1590年頃)、常陸国から下野国足利郡山川村(現在地)へと移転してきました。
栃木県足利市山川町1142 0284–41-7488
 
 第十八番   大沼田山 万福寺 聖観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  時宗
古墳が点在する大沼田町の大坊山山麓の景勝地に在って大沼山 萬福寺と称し、後に大沼田山 萬福寺となった。

かつては、大沼田全域で一ヶ寺の大きな寺院であったが時代の移り変わりと共に、小規模ながら現住職45世を数える。
栃木県足利市大沼田町1436 0284–91-0251
 
 第十九番   大林山 清雲寺 千手観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  曹洞宗
清雲寺は初め勧農北袋にあったが、万治年間(1658~60)の大洪水で現在地に移建。
栃木県足利市大沼田町723 0284–91-0148
 第二十番   寺岡山 施薬院 薬師寺 如意輪観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  天台宗
寺伝によれば聖徳太子の命によって建立され「下野八薬師」と称されていたと伝えられている。

江戸・元文年間(1736~1741)東山天皇の第三皇子、公寛法親王が上野東叡山寛永寺・輪王寺門跡第6世門主をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重が、永年身命を賭しての忠節を認められて、日本に3幅しかない元三大師尊影御真筆を拝領した。
栃木県足利市寺岡町871 0284–91-3236
 第二十一番   明星山 神楽院 正善寺 千手観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  天台宗
開山の祖は、覚永僧都。《宝永三年(1706)寂》。

正善寺の阿弥陀如来は、昭和51年に日光山輪王寺より勧請(かんじょう)された仏様です。

身の丈約1メートル、製作は鎌倉中期とされ、日本で最初の仏師とされる定朝様式(じょうちょうようしき)の阿弥陀如来とされています。
栃木県足利市常見町1丁目12-15 0284–41-4555
 第二十二番   乾坤山 徳蔵寺 魚籃観世音菩薩
   令和6年04月15日(月)  天台宗
開創年は不詳、平安朝の末のころ行学兼修の大徳、龍海大阿闍梨が民衆教化のために草庵を結んだと言われている。

江戸時代中期、宝暦年間(1751~1764)には中興の祖である尊雄師がいる。
栃木県足利市猿田町9-3 0284–41-8621
 
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