安房国礼三十四観音霊場   
第十九番〜第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
補陀洛山 普門寺 長安山東光院 石堂寺 長楽山 智光寺
 
 聖観世音菩薩 十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩
天平十九年(747年)、行基菩薩が聖観世音菩薩像を刻み建立したのが始まりとされるとのことです。

現在、観音様は正文寺の祖師堂に祀られていますので実際の普門寺と言うお寺さんは今はないみたいです。

写真が祖師堂です。

伝承では神亀3年(726年)、行基の開創という。

また和銅元年(708年に奈良の僧・恵命と東照が創建し、仁寿年間(851 - 854年)、円仁(慈覚大師)が再興したともいうが、これらはどこまで史実を伝えるものかは定かでないとあります。

当初は「石塔寺」と称し、近江(滋賀県)と上野(群馬県)の石塔寺とともに日本三塔寺に数えられたということです。

結構大きなお寺さんです。

ご住職さんは昨日まで留守にされていたとの事でラッキーでした。

ここでもガイドブックは売り切れ、今度仕入れておくとのことでしたが、たぶん当分こないかと。。。
当寺は不動明王を本尊とする長楽山 智光寺と千手観音を本尊とする光明寺(宝暦13年再建)と、阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂(安楽4年再建)とが江戸時代中期に併合したものと考えられるとのことです。

参道入り口に江戸期の仁王門があります。

正面が観音堂、左手は阿弥陀堂です。
右手に不動堂があります。

堂内の提灯は仁王門の左手の家の御主人がご開帳に合わせて手作りで作成した物だそうです。

長持ちするように布で作成したとおっしゃっていました。

ご朱印は仁王門の前にある君塚商店に置いてあります。
平成21年10月31日 平成21年10月31日 平成21年10月31日 
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
道場山護殻寺 勧修院 金銅山 宝珠院 長谷山 延命寺
 
千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩
元々は現在のお寺さんの背後にある
リョウガイ山と称するところにあったそうです。

写真の奥が古い観音堂で手前が新しい観音堂でしょうか。

ご朱印は一番さんで頂きます。
応永年間(1394〜1427年)の開山とのことです。
里見氏の祈願所で石高300石、真言宗の安房の触頭檀林所であり安房国真言一派諸寺院支配所(284ヵ寺)でもあったとあります。

写真は観音堂です。
本堂は右手にあります。

ご朱印は一番さんで頂きます。
永正十七年(1520年)里見四代実尭が開祖し、吉州梵貞和尚を開山とする里見氏の菩提寺で石高217石余、曹洞宗の録所(宗教を司る役寺)で、多くの雲水僧が修業した禅寺であったとのことです。

写真は観音堂です。
本堂は右手にあります。
平成21年10月31日 平成21年10月31日 平成21年10月31日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
高倉山 真野寺 檀特山 小松寺 中嶋山 住吉寺
 
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
神亀二年(725年)、現在地の東方1キロにある高倉山山頂に行基菩薩が小宇を建立し、自刻の千手観世音像を奉安して開山したと伝えられるそうです。

高倉山に建立されたので山号を高倉山と名付け、真野谷にあったため真野寺となったとのことです。

観音様はご開帳のときも素顔を拝むことができないことから、覆面千手観音の異名をもつとのことです。

本尊は観音様ですがお寺さんの案内板は真野大黒となっていました。
大黒さんがうりのようです。
文武天皇(697〜707年)のころ役小角(えんのおずね:役行者)によって開創され、天長八年(831年)、慈覚大師が堂塔を建立したとのこてです。

銅製の十一面観世音菩薩像(札所の本尊ではありません)は国宝(別の本では国の重要文化財)として現在国立博物館にあるそうです。

写真は観音堂です。

紅葉がとっても綺麗でした。

有名なのでしょうか、沢山の人で賑わっていました。
天保年間(1830〜1844年)に改築されたお堂には行基菩薩作と伝えられる聖観世音像が奉安されているとあります。

写真は観音堂です。

こちらの若いお坊さんが今日は二十六番さんにおれれました。

ご朱印は塩蔵寺さんで頂きます。
住所:館山市北条1124
平成21年11月28日 平成21年11月28日 平成21年11月28日

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