建久三年(1192年)、唐僧草堂に聖観音尊像を安置、中興・増繁。
慶長三年(1598年)、堂宇修造、次いで承応四年(1655年)、本堂を再建とあります。
鎌倉街道沿い、大栗川と乞田川とが合流する付近に観音寺があります。
当地は元弘三年(1333年)の新田義貞と鎌倉幕府との合戦の古戦場で、当寺で毎年5月16日に供養を行っているという。
多摩八十八ヵ所霊場、多摩川三十三観音霊場の札所でもあります。 |
長和年間(1012~1016年)の開創、開山は弘意僧都。
「新編武相風土記稿」に「観音堂、門を入りて左にあり、二間に三間、聖観音の銅像長一尺三寸なるを安す」とある。
この堂は明治二十九年(1896年)に焼失し、現在の堂は昭和61年(1986年)に再建されたものである。
境内に寛政六年(1794年)の「武相八番 子安観音」と刻まれた石碑がある。
武相観音霊場の石造物の中では最も古いものだそうです。 |
観音堂は、かつて松連寺のあった百草園の南方にあります。
「新編武蔵風土記稿」の松連寺の項に、観音堂は武相三十三札所の一つであると書かれており、江戸時代には松連寺の観音堂が札所であった。
明治の始めに松連寺は廃寺となり、仏像などは祐照庵という庵があったこの地に移されたという。
前立として十一面観音立像が安置されている。 |