松本左近景宗(第九十七代・村上天皇の宮中警備の武士)の開山。
道路に面して、昭和十四年(1939年)のご開帳の時に建立された「武相三十一番札所 正観世音菩薩」の碑がある。
お堂は度々水害に遭い、慶長十九年(1614年)に現在の地に遷された。
ここも原当麻自治会の集会所となっているようです。 |
坂上田村麻呂が大同二年(807年)に草創したと伝わる。
補蛇山という山号は観音の浄土を意味するものであり、慶長年間に本尊の千手観音が盗難にあったが、同時に寺の井戸から現在の十一面観世音菩薩が出現し、本尊としたという。
古代から遺跡も多く、中世には田名、当麻、上溝、下溝などは要所であった。
永録十二年(1569年)に、武田信玄が小田原を攻めたとき、ここ下溝を通って膳坂に陣を置いた。 |
元は近江国の三井寺の坊中の一寺で康平六年(1063年)、覚円僧正が同寺金堂裏に開基した。
本尊の聖観世音菩薩は、のち三井寺炎上のおり鈴鹿山北麓、また木曽義仲の墓のある近江国栗津中之里に移り、それから武州多摩群木曽が義仲の縁の地として、石川氏が京都の聖護院に参った時、現在の地に移したものと伝えられる。
この辺は町田街道の一つ裏手の道で、旧街道のおもかげを残している。 |