元応二年、虚庵玄寂禅師の開創、金山・長福寺と号した。
慶長七年(1602年)、毛利秀元が伽藍を修復し功山寺と改称された。
高杉晋作が門前で義兵の旗揚げをした地でもあるそうです。 |
延略ねんかん(782~805年)の草創と伝わる月輪山・観音寺を建武(1244年)頃、大椿山・歓喜寺と改めたと伝わる。
二代・毛利綱広が歓喜寺を改修し大照院と改称した。
二代以降、偶数代はこちらに、奇数代は東光寺に葬られれおり、こちらには七世代の藩公夫妻が葬られている。 |
車がすれ違えないような細い道を進んだ先の民家の密集する橋本川河口の高台にあります。
大同二年(809年)、不見別当が草庵を結んだ。
永禄元年(1558年)、伝得公和尚が毛利元就公の菩提寺である洞春寺の役僧寺として開山。
慶長十年(1609年)に現在地に移築した。 |