越後三十三観音霊場   第一番~第九番
 
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円明庵 岩屋堂 照国山 摩尼王寺 東山  大泉寺
聖観世音菩薩 正観世音菩薩 千手観世音菩薩
大宝二年(702年)、泰澄大徳がこの地に住し彫刻した御尊像を、安置した。

別当は名立寺、新潟県上越市名立区名立大町に所在する曹洞宗寺院です。

弘仁四年(813年)、弘法大師が梵字を書いたという岩壁が右手に見えます。

古事に従い能生白山神社に参拝してからの巡礼開始です。
札所本尊は弘法大師が唐で自ら鋳造したと伝えられる金銅の御丈二寸八分の正観世音菩薩像。

昔は真言宗一千余カ寺の本山であったが天正年中(1573〜1591)上杉謙信公の養子となった景勝・景虎の両人は家督を争って「御館の乱」となり、景虎は破れて自刃。

景虎の祈願寺であった当寺もその時一切灰燼に帰してしまったそうです。

現在は無住で地元の方が管理されています。
朱鳥元年(686年)持統天皇の勅願により泰澄大師が観世音を刻まれて御堂建立。

お前立の観世音(県文化財)は上杉謙信の父長尾為景の寄進。

上杉謙信の信仰が厚く、戦陣に向かう際には必ず戦勝祈願をしたという。

標高230mの山頂にあり車は本堂横の駐車場まで行けます。
こちらは前立開帳です。
平成25年04月29日 平成25年04月29日 平成25年04月29日
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普門山 妙智寺 不退山 宝蔵寺 玉崎山 常楽寺
正観世音菩薩 十一面観世音菩薩 正観世音菩薩
観音像は行基作と伝えられ、上杉謙信の伯母である小少将姫の念持仏であったといわれる。

この姫君の戒名を、慈照院光室妙智大姉といい寺号はここから名付けたという。

こちらは本尊ご開帳ですが、何故か本堂に上がらずに外からお参り。。。

ご縁が無かったと言うことか。。。。。
(なお7/15,7/20~8/20はご開帳しないそうです)
開創は天平八年(736年)、札所本尊の十一面観世音菩薩は弘法大師作と伝わる。

開創当時は法相宗であったが、後に真言宗に改宗された。

ご住職は丁度出かけられるところで、「そこに書いたのがあるから差し替えで」と言うことで。

(前立開帳)
本尊の正観世音菩薩像は行基作と伝わる。

無住で地元管理ですがご朱印はお堂の中に差し替え用が置いてあります。

(前立開帳)
ご本尊は三十三年に一度のご開帳だそうです。
平成25年04月29日 平成25年04月29日 平成25年04月29日
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医王山 摩尼珠院 鷲尾山 不動院 円通山 広済寺
正観世音菩薩 千手観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
紀州高野山・明王院の末寺、一時衰えたが文安元年(1444年)法印・覚応によって再建、さらに天正年間、元禄年間に再建された。

6/18,10/18のみ秘仏開帳、その他の期間は前立開帳です。
(でもどれが前立か分かりませんでした(-_-;))

無住でご朱印は掲示板に書かれている世話人方宅へ伺って頂きました。
大同二年(807年)、空咢上人(弘法大師の直弟子)の開創。

本尊の千手観世音は延文三年(1358年)、仏師・弘円上人の作と伝えられる。

無住ですが世話人の方が対応して下さいます。

秘仏ご開帳は5/17,7/11,10/18、その他の期間は前立開帳です。
嘉吉元年(1441年)、佐橋朝広公によって開創された。

観音堂は黒姫山登山道を4キロほど登ったところにあるそうです。

本堂前はまだ雪があって正面からは入ることが出来ませんでした。
本堂右手の玄関から入ってお参りです。

(前立開帳)
平成25年04月29日 平成25年04月29日 平成25年04月29日
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