越後三十三観音霊場   第十九番~第二十七番
 
第十九番 第二十番 第二十一番
海嶽山 光照寺 如意山 照明寺 聖福山 吉田寺
正観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
承保年間(1074~1076年)、荒木寛助というものが海中より持ち帰り小庵を建てて安置したのが始まり。

上杉謙信の母君である光照寺殿が深く信仰し、自ら観音堂を建立して光照坊と称した。

周りにお寺さんが結構あって少し迷いましたが無事到着。
本尊開帳ですが檀上におられる観音様を上手く撮ることが出来ませんでした。
永承四年(1049年)、高野山竜光院の僧・栄秀阿闍梨がこの地に庵を結んで観音像を安置したのが始まりという。

観音像は弘法大師が入唐の折り、海上の安全を祈願して鋳造したとされる金銅の聖観世音菩薩像、「寺泊の観音様」といわれる。

乗用車は境内まで入れます。

こちらは前立開帳です。
観音像は黒滝城の城主・照田常陸介宗光、養子・吉伝の先祖伝来の念持仏であったという。

永正年間(1504~1520年)、丹波国の穴穂寺を城下に移し、念持仏である聖観世音菩薩を安置した。

お寺さんの裏手に駐車場があり乗用車はそこまで入れます。

秘仏本尊ご開帳です。
平成25年04月30日 平成25年04月30日 平成25年04月30日
 第二十二番 第二十三番 第二十四番
雲高山 国上寺 龍岡山 観音寺 大悲山 景清寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩 千手観世音菩薩
和銅二年(709年)の開基と伝えられる。
弥彦神社の宮弥彦大神の詫言により、建立された越後最古のお寺さんだそうです。

千手観世音菩薩像は聖徳太子が自ら刻んだとされる。(本尊開帳)

国上山の中腹ににあり広い境内です。

良寛上人が13年間住んだ五号庵があります。

23番、24番さんのご朱印もこちらで頂けます、
本尊・聖観世音菩薩は聖徳太子作と伝わる。
(本尊開帳)

観音堂は昔は西へ1㎞程行った山手の西曲というところにあったそうです。

「このめ沢の観世音」と言い、以前観音堂は西へ1㎞程行った七曲りというところにあり、昔はここを「このめ沢」と言ったことから来ているのではないかとのことです。

現在の本堂は平成15年の再建。
寺名の平家につかえた景清ゆかりの寺からきているようです。

平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。

千手観世音菩薩の背中には「景清」の二字が刻まれているそうです。(前立開帳)

駐車場はありません、手前の少し広い道路に路駐です。
平成25年04月30日 平成25年04月30日 平成25年04月30日
第二十五番 第二十六番 第二十七番 
金潮山 真城院 如意山 乙宝寺 遍照山 光浄寺
千手観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 十一面観世音菩薩
健保四年(1216年)、京都醍醐寺・報恩院の鍐照阿闍梨が弘法大師作と伝わる一寸八分の千手観世音菩薩像を安置したのが始まり。

新潟市内にあり都市のお寺さんらしく参道は狭いです。

本通りに路駐の方が良いかもしれません。

秘仏開帳は6/24。
天平八年(736年)、インドの僧・バラモン僧正と僧・行基が、ここで大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊を彫刻して安置したのが始まりという。

山門を潜ると正面に本堂(大日堂)、手前右手に国宝の三重塔があります。

観音堂は本堂の右手です。

如意輪観世音菩薩像は行基の作と伝えられているそうです。

本尊常時開帳です。
弘治二年(1556年)、玄徹禅師が郷清水の水底から現れた十一面観世音菩薩を安置したのが始まり。

越後三十三観音札所の最北に位置します。

十一面観世音菩薩像は春日仏師の作と伝わる。

秘仏開帳は6月に約10日間、8月に一週間程。
平成25年05月01日 平成25年05月01日 平成25年05月01日
観音霊場の旅トップに戻る 第二十八番~第三十三番へ