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岐阜県の旧恵那郡(現在の恵那市及び中津川市)一帯に広がる巡礼地。
客番三ヶ寺を含む三十六寺で構成されています。
宝暦8年(1758年)に開場。
明治の廃仏毀釈により、霊場寺院の幾つかが廃寺。
その後、明治時代に幾つかの寺院を加えて霊場が再興され、昭和60年(1985年)に再整備が行われた。
春秋の2回開帳が行われていたが、コロナの影響で平成30年(2018年)が最後となり以降行われていない。
御朱印は専用の納経帖に各札所にある書置きを挟みこんで行くのがスタンダードです。 |
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第一番 |
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慧日山 東禅寺 |
十一面千手観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
黄檗宗 |
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延宝元年(1673年)に通源禅徳が尾張国志段見村(現在の名古屋市守山区)で廃寺となっていた東禅寺を武並神社の境内に移す形で再興開基し、宇治の萬福寺から石雲道如を迎えて開山した。
本堂は建て替え中でした。
ナビにたよると2番札所の先の細い道に誘導され行き止まりでした。 |
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岐阜県恵那市大井町354 |
0573-25-2806 |
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第二番 |
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法昌山 長栄寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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慶長5年(1600年)に、可児郡中村の大智山愚渓寺住の正峯祖全が大崎の地に結んだ宝福庵をそのはじめ。
寛文元年(1661年)に長栄寺に寺号を改め、恵那郡竹折村にある瑞現寺の末寺となった。
天和元年(1681年)に中尾山 威徳院の跡地である現在地に移転。
参拝時、お留守にて御朱印を頂けず。
再訪にて頂きました。 |
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岐阜県恵那市長島町中野568 |
0573-25-2249 |
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第三番 |
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泰養山 高安寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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寺伝では、永田村民からの要請を受けた曹洞宗の宗門が教化道場を開くため、寛永20年(1643年)恵那郡千旦林村の大林寺三世の徳外玄隆を遣わして草創開山して泰養山
高安寺と号したという。 |
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岐阜県恵那市長島町永田557-2 |
0573-25-4615 |
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第四番 |
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稲荷山 長国寺 |
千手千眼観世音菩薩・妊観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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『長國寺縁起』によれば、元は長興寺という寺名で、聖徳太子が百済の香木で一尺二寸程(約360 cm)の観音像を彫って夢殿に安置したところ、金色の光を放って東へ飛び立ち、大井の白坂の野に降りた。これを恵那の三郎という人が見つけ安置した。
これが長興寺の始まりであるとしている。
大宝2年(702年)、行基が自ら刻んだ観音菩薩像を安置して観音堂を草創したのが始まりとも伝わる。 |
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岐阜県恵那市大井町1246 |
0573-25-2275 |
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第五番 |
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嶺松山 大林寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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天正8年(1580年)、甲斐国巨摩郡長坂の清光寺五世の照庵玄光が、坂本神社八幡宮の別当寺に入り、東の洞に禅洞庵という草庵を結んだことを始まりとする。
慶長13年(1608年)、清光寺から吉州玄貞と徳外玄隆が禅洞庵に来て法を説いた。徳外玄隆は、元和8年(1622年)、寺名を禅洞寺に改め、さらに教化に努めた。
徳外玄隆は手狭になった禅洞寺を移築して再興することとし、林常慶(大藪桃井家の祖)が開基となり、 寛永10年(1633年)、新たに嶺松山 大林寺に改名して洞垣外に建立した。
参拝時、お留守にて御朱印を頂けず。
再訪にて頂きました。 |
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岐阜県中津川市千旦林1346 |
0573-68-2044 |
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第六番 |
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久翁山 源長寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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寛永2年(1625年)に長国寺の3世住持の鸑州鷹鷟(がくしゅうおうざく)を開山とし、その末寺として開かれた。
創建当時の文献は残っておらず、開基や設立の経緯については不明。 |
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岐阜県中津川市茄子川1314 |
0573-68-2046 |
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第七番 |
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萬松山 宗久寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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元和2年(1616年)に岩村藩主松平乗寿の家臣で代官の鈴木主馬入道宗久が領民の求めに従って、大井長国寺ニ世の葉山嫩奕を開山に招いて庵寺を建立したのが始まり。
その後、寺地は松浦屋敷、庄次坊、寺上と変遷して、現在地に移った。 |
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岐阜県恵那市東野1282 |
0573-25-2052 |
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第八番 |
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瑞雲山 禅林寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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寛永11年(1634年)に、当時岩村城下にあった岩村藩主丹羽氏の菩提寺の妙仙寺六世の斧峯牛鈯により開山された。 |
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岐阜県中津川市飯沼505−1 |
0573-63-2431 |
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客番 |
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出生山 子安寺 |
如意輪観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
天台宗 |
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創建の年代は明らかでないが、「飯沼旧記録」によると、正和年間(1312年~1316年)にこの地方を支配した安木遠山氏の某公によって再建されたという。
またその後、文明11年(1479年)に岩村城主の遠山頼景の御台所が、お産の悩みの果てに、この観音にお祈りをしたところ無事男児を出産されたことにより、同氏によって再建されたと伝わる。
無住で8番・禅林寺の管理。 |
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岐阜県中津川市飯沼1363 |
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第九番 |
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賀雲山 萬嶽寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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元和年間に観室察公により賀雲院として建立される。
慶安3年(1650年)に岩村城下盛巌寺六世の在天三龍により中興され、寺名を賀雲山萬嶽寺に改めた。 |
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岐阜県中津川市阿木101−1 |
0573-63-2078 |
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客番 |
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補陀山 龍泉寺 |
馬頭観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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9番・萬嶽寺内に鎮座。
天正2年(1574年)武田勝頼の東濃侵攻の際に焼討されて消失した根の上高原南麓に所在した龍泉寺の本尊を移したものと伝わる。 |
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岐阜県中津川市阿木101−1 |
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第十番 |
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天徳山 東光院 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
臨済宗妙心寺派 |
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大永年間(1521年~1528年)に大源孚公が大圓寺の塔頭として打杭峠の傍に建立した庵を始まりとする。
元亀3年(1572年)、武田信玄の命により武田勢の攻撃により大圓寺は焼失したが、東光院は難を免れた。 |
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岐阜県恵那市岩村町富田2546 |
0573-43-2839 |
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第十一番 |
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久昌山 盛巌寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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天正18年(1590年)、大給松平家の松平家乗が上州那波に父祖の供養のために盛巌寺を開基し、江戸浅草の橋場にあった総泉寺八世の雄山傳英を招いて開山た。
大給松平家は、元来は浄土宗の龍巌寺(龍岩寺)という菩提寺があったが、家乗は曹洞宗にも敬仰し、祖先の冥福を祈るため盛巌寺を創建した。 |
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岐阜県恵那市岩村町殿町147−1 |
0573-43-2222 |
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