第十二番 |
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興国山 清楽寺 |
聖観世音菩薩・子安観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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鎌倉幕府創設の功により遠山荘を賜った加藤景廉の兄、加藤景廣が庵を結んだことをその端緒とする。
その後正安元年(1299年)8月に官仲良職により臨済宗の寺として開山したと伝わるが、正確な開創の年次は不詳である。
建武2年(1335年)遠山荘の地頭遠山三郎が開基した臨済宗大圓寺の属末となる。
その後、慶安年間(1648年~1652年)に、当時、岩村藩主であった一色丹羽氏の菩提寺である妙仙寺九世の斧峯牛鈯により中興されて曹洞宗に改宗された。 |
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岐阜県恵那市岩村町142−1 |
0573-43-2659 |
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第十三番 |
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清水山 萬勝寺 |
十一面観世音菩薩(別格本尊:千手観世音菩薩) |
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令和6年10月14日(月) |
臨済宗妙心寺派 |
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平安時代の初期、慈覚大師により創建され、本尊の十一面観音は慈覚大師の作と伝わる。
元は天台宗で、飯高山 満昌寺と称した。
天正2年(1574年)に満昌寺は武田勝頼による東濃侵攻時の兵火により焼失した。
江戸時代になり江戸幕府の旗本(交代寄合)となった遠山利景は寺の焼け跡の荒廃を嘆いて明知遠山氏の菩提寺である龍護寺を開山した椽室宗採に再興を依頼した。
椽室宗採は、遠山利景が亡くなった翌年の元和2年(1616年)に、臨済宗に改宗し、寺名を妙法山 萬勝寺に改めて再興を果たした。 |
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岐阜県恵那市山岡町馬場山田175 |
0573-56-2810 |
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第十四番 |
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清水山 萬光寺 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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寛永年間(1622年~1644年)に徳翁秀用によって開基された正信寺が元寺と伝わる。
承応年間(1652年~1655年)、徳翁秀用は寺号を萬光寺に改めて横道村の寺にすると、門人の秀悦に住職の座を譲り、明暦元年(1655年)に遠江の圓光寺に移った。
神仏分離令により廃寺とされた天台宗当山派の大船寺で祀られていた覚林坊(烏天狗)の像を円頂寺と交代で保管している。 |
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岐阜県恵那市上矢作町横道1506 |
0573-47-2302 |
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客番 |
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勝嶽山 大船寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
天台宗 |
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14番・萬光寺に鎮座。 |
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岐阜県恵那市上矢作町横道1506 |
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第十五番 |
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寳林山 圓頂寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月14日(月) |
曹洞宗 |
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寛永年間(1622年~1644年)に徳翁秀用が開山したという説。
明暦年間(1655年~1658年)に岩村の盛巌寺五世の天叟全龍が開山したとする二つの説がある。
当初は河原近くの寺井口に存在したが、寛文8年(1668年)に水害より荒廃したために、貞享3年(1686年)に武儀郡神渕村の龍門寺の満州和尚の指揮の下で現在地に移転し再建。 |
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岐阜県恵那市上矢作町2959 |
0573-47-2107 |
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第十六番 |
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龍洞山 玉泉寺 |
如意輪観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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慶長12年(1607年)に岩村藩主の松平家乗が開基となり、宗薫を開山として谷下の地に寺が開かれた。
創建時は蟠龍山長松寺と称した。
慶長19年(1614年)に澄ヶ瀬射去の地に移り、山号・寺号を現在の龍洞山玉泉寺に改めた。 |
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岐阜県恵那市上矢作町下62 |
0573-48-3133 |
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第十七番 |
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香林山 黄梅院 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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創建年月不詳、開山・開基不明。串原唯一の寺院で串原遠山氏の位牌が祀られていた菩提寺であったと伝わる。
天正2年(1574年)、武田勝頼の東濃侵攻の際に恵那郡の寺社は悉く兵火にかかり焼失した。
寛永9年(1632年)3月3日、岩村の盛巌寺の寶山文鐘が、岩村藩主松平乗寿の帰依を受け、往年の寺地に中興を果たした。 |
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岐阜県恵那市串原3110 |
0573-52-2505 |
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第十八番 |
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瀧坂山 観音寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
臨済宗妙心寺派 |
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慶長17年(1612年)、旗本・明知遠山氏初代の遠山利景が崇敬していた萬勝寺で祀られていた聖観世音菩薩を本尊として明知城の西に龍護寺の覚巌和尚により開山された。 |
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岐阜県恵那市明智町640−66 |
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第十九番 |
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久昌山 安住寺 |
聖観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
臨済宗妙心寺派 |
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大永5年(1525年)、明知城主であった遠山景行によって創建されたと伝わる。
永禄年間(1558年~1570年)の始めに、以前からあった小庵を景行の室の安住寺尼が、安住寺として開基したという説もある。
開山は本如実性とされるが、実際には法嗣で三河国東加茂郡萩平に三玄寺を開山した柏庭宗松とする説がある。
江戸時代の末期と明治元年(1868年)の二回、火災により全山を焼失し、後に再建されている。 |
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岐阜県恵那市明智町杉野1060 |
0573-54-2484 |
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第二十番 |
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龍雲山 普門寺 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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寺伝によれば、開山は田翁奭公首座で、慶長10年(1605年)に没したと伝わるので、開創の年は、それ以前と考えられる。
当時は小規模な庵か辻堂程度の規模であったと思われる。
久保原村の浅野家の次男の禅岩玄悦が、客殿(本殿)や山門を建立して伽藍が整った。
禅岩玄悦の隠居後は、一斧鈯宣・和光拈調と続いたが、その後は無住の状態が続いた。
宝永4年(1707年)、馬場山田村の盛久寺六世快信祖慶の法嗣、大牛光が中興した。 |
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岐阜県恵那市山岡町下手向1636 |
0573-56-3114 |
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第二十一番 |
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瑞鳳山 徳祥寺 |
十一面観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
臨済宗妙心寺派 |
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元和年間に、加茂郡の瑞林寺七世の竺源玄盛が長福寺として上切塚屋の地に建立した。
享保年間の始め(1716年頃)火災により焼失したため、現在地に移り寺号を、瑞鳳山 徳祥寺に改称した。
無住で第10番の東光院の管理 |
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岐阜県恵那市岩村町飯羽間188 |
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第二十二番 |
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医王山 林昌寺 |
千手観世音菩薩 |
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令和6年10月15日(火) |
曹洞宗 |
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伝承によれば、文保元年(1317年)、丹波から草伯という僧が行基作の薬師如来像を携えて久保原村に来た。久保原村の百姓の與作が草伯に帰依し、草庵を建てて奉仕したのが始まりとされる。
その後、天台宗の醫王山 瑠璃光寺が建立された。
天正2年(1574年)、兵火に罹り焼失したが、本尊の薬師如来は中西城(久保原城)主の遠山左京之進の母の実松宗貞禅尼が恵月庵で祀った。
寛永2年(1625年)、馬場山田にある盛久寺三世の龍山長雲が、瑠璃光寺の址に寺を建立して恵月庵にあった薬師如来を迎えて本尊とし、醫王山 林松寺と名付けた。
なお寺号は、初めは林松寺であり、時には林昌寺とも書いたが、明治以後に林昌寺とした。 |
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岐阜県恵那市山岡町久保原388 |
0573-56-2089 |
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