円覚寺百観音霊場  第十六番~第三十番
 
第十六番 第十七番 第十八番
桜岡山 長福寺 澗岳山 高松寺 寶陀山 玉泉寺
十一面観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
円覚寺派百三十六世・続宗法紹和尚。

応永年間(1400年頃)の創建。

本尊の十一面観世音菩薩像は北条政子の持念仏とされ行基作と伝えられている。

観音堂には「鎌倉拾九番桜堂観音」の石碑が建っています。
本尊は「釈迦牟尼仏」であったが関東大震災で失われ、大正十三念、信濃の北天院より「聖観世音菩薩」を勧請し本尊とした。

伝承されているお寺の過去帳に「檀那 高松三郎入道頼重 法名 澗岳院殿」とあり、これが山号寺号となっている。
元亭年間(1321~24年)の建立。

もとは天台宗の草庵、補陀山常光院といったそうです。

建武年間(1334~36年)、臨済宗となり現在の山号、寺号となった。
平成25年07月06日 平成25年07月06日 平成25年07月06日
 第十九番 第二十番 第二十一番
金龍山 燈明寺 関雲山 長福寺 雲居山 乗光寺
十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 瀧見観世音菩薩
札所本尊の十一面観世音菩薩は以前、旧鎌倉三十三観音霊場の第三十番札所の観音様として、隣町の田谷町、金龍山大雲庵に祀られていた。

太平洋戦争中の燈明寺に合祠され現在はこちらに祀られています。
応永三十三年(1426年)の創建。

仏満禅師三世の法系子文法林禅師を開山とする。

「安産・長生きの観音さん」として地域の信仰を集めている。

ご住職から「せっかくここまで来たんだから近くの最乗寺にお参りしていったら」との助言により、お参りしてきました。
ちなみに最乗寺は曹洞宗のお寺さんです。
応安五年(1372年)、駿河郡内に本拠を置いていた大森信濃守を開基として、中国からの渡来僧・祭りx庵明聴禅師を開山として創建された。

一時、相模国平山の地に移るが、正保元年(1644年)、大森氏の末裔頼直と隠叟明逸和尚により再び土生の地に再興された。

ご住職のお話では、観音様はお寺さんの創建より50年程前に造られたもののようだとのことでした。
平成25年07月06日 平成25年07月15日 平成25年07月27日
第二十二番 第二十三番 第二十四番
安養山 歓喜寺 寳鼎山 周福寺 亀霊山 蔵六寺
十一面観世音菩薩 百観世音菩薩(百観音) 聖観世音菩薩
法周禅師が徳倉の地に応永二十年(1413年)、一堂宇を建立したことに始まる。

その後、元禄元年(1688年)、徳倉の高台(現在の地)に易甫和尚が本堂を再建した。

ご住職は円覚寺百観音霊場の開創者の一人だそうです。
百観音霊場なのに何故札所が百ヶ所ないのか。。。を教えて頂きました。
建久元年(1190年)、源頼朝公によって創建された。

境内には秩父、坂東、西国の各観音霊場より勧請した百体の石仏が祀られている。

境内に入って右手にありますが、木々に隠れるようになっていて意識しないと見落としてしまいそうです。
天文二年(1533年)の開創とされるが、過去帳にはそれ以前の記録が発見される。

北条氏の家居・笠原新六朗政暁が陰遁し政暁蔵六と号し、蔵六寺の開山となる。

法事の最中でしたので二十五番さんを打ってから再訪しご朱印を頂きました。
平成25年07月27日 平成25年07月27日 平成25年07月27日
第二十五番 第二十六番 第二十七番
百丈山 開田院 福泉山 臨江寺 福翁山 養徳寺
聖観世音菩薩 千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
永徳三年(1381年)三月二十四日開創、開基は不詳。

開山は竜眼禅大和尚禅師、山号は中国の百丈山になぞられて付したと思われるとのことです。

境内には西国三十三観音霊場の石碑と共に弘法大師の石碑も置かれています、昔は真言宗の時代もあったのでしょうか。
貞治四年(1365年)、南総和尚により開山。

千手観世音菩薩は元禄十五年(1702年)、上沢村の名主・矢田七右衛門の持仏をもとに発願造立された。

千手観音は蓮華王菩薩とも呼ばれているそうです。

観音堂は本堂右手側にあります。
嘉慶元年(1387年)、用固和尚の開創。

以後衰退し享保七年(1720年)、一渓和尚により中興、安永六年(1777年)、火災により焼失、寛政元年(1789年)、牛窓和尚によって再建された。
平成25年07月27日 平成25年07月27日 平成25年07月27日
第二十八番 第二十九番 第三十番
三寳山 修禅院 東方山 長昌院 天長山 国清寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
天正二年(1574年)三月三日、晃天和尚の開創とだけ伝えられている。 

その後、大火にあい焼失、更に昭和五年の伊豆震災で全壊、現在の本堂、庫裡は昭和七年に再建されたものだそうです。
 創建年代は不詳。

ご本尊の薬師瑠璃光如来は僧・行基の作と伝えられている。

ご不在だったので三十番さんを打ってから再訪もお留守の様子、また来ます。

観音堂は開いていたので上がらせて頂きお参りしました。
康安二年(1362年)、修善寺城主・畠山国清によって創立。

ご住職によると昔は末寺600を数える大寺だったそうです。

今日はこの後、小学生30名ほどがきて座禅体験をするそうで準備の最中でした。
平成25年07月27日 平成25年07月27日 平成25年07月27日
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