第三十一番 |
第三十二番 |
第三十三番 |
月高山 桂林寺 |
廣大山 海蔵寺 |
妙音山 慈眼寺 |
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聖観世音菩薩 |
十一面観世音菩薩 |
正観世音菩薩 |
天正十七年(1589年)三月、武田家頭穐・山田日向守信桂氏が一族の先祖の霊を祀るために開基となり、華渓妙屋西堂和尚を開山に招請して開創した。
聖観世音菩薩は藤原時代の作と伝えられている。
入口の道が分かりにくいです。 |
十一面観世音菩薩像は記録はないが慈覚大師の作ともいわれている。
現在は無住のようです。
ご朱印は隣の航浦院さんです。
こちらは伊豆八十八ヶ所霊場の別格番外になります。 |
天文十二年(1543年)、賢仲佐西堂和尚も開山。
山号、寺号の「妙音」「慈願」は観音経の一説と思われるとのことです。
入口に案内が無いので探すのに少し苦労するかと思います。 |
平成25年08月03日 |
平成25年08月03日 |
平成25年08月03日 |
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第三十四番 |
第三十五番 |
第三十六番 |
東海山 城福寺 |
天医山 龍泉寺 |
巌殿山 円成寺 |
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十一面観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
文永年間(1270年前後)より長禄二年(1458年)までは、泉家(家号奥)の鎮守大日堂だった。
、長禄三年(1459年)、黙翁和尚が行脚してきて堂宇となり、七十三年後、保州和尚の時に現在の東海山・城福寺と号し、天文二年(1533年)黙翁和尚を開山として創建された。 |
応永二十二年(1415年)、臨済宗の寺として開創、開山は天台宗・受大禅師。
着いたらお寺さんは工事中、大雨による土石流でお寺さん周辺は床上浸水だったそうです。
後かたずけの最中でしたので早々に後にしました。 |
記録によると、永禄年間(1560年前後)に兵火で焼かれた真言宗・普賢院の跡地に元和元年(1615年)、韮山・国清寺の塔頭・円成寺の寺号とご本尊を移して再建されたとある。
伊豆横道三十三観音霊場・第八番札所。 |
平成25年08月03日 |
平成25年08月03日 |
平成25年08月03日 |
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第三十七番 |
第三十八番 |
第三十九番 |
実相山 正法院 |
大龍山 清河寺 |
常楽山 養竹院 |
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聖観世音菩薩 |
千手観世音菩薩 |
千手観世音菩薩 |
寺伝によると、前身は釈迦堂正法庵と言い真言宗の寺院だった。
天正十八年(1590年)、一説には天正六年(1578年)、寿岳素永大和尚を開山に請じて、寺号を正法院と改め臨済宗円覚寺派に改宗した。
伊豆横道三十三観音霊場・第九番札所。 |
延文五年(1360年)、関東管領・足利基氏公の命により仏慧禅師がこの地を選んで七堂伽藍を建立。
現在の本堂は5年程前に建てられたものだそうです。
千手観世音菩薩像は聖徳太子作。
足立坂東三十三観音霊場・第三十番札所。 |
明応年間(1492~1501年)、太田家菩提のため太田家の陣屋をそのまま一寺とした。
開山は寂悦禅澤禅師大和尚。
観音堂は山門の外、山門に向かって左手側にあります。 |
平成25年08月03日 |
平成25年09月29日 |
平成25年09月29日 |
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第四十番 |
第四十一番 |
第四十二番 |
瑞露山 密厳院 |
寶王山 少林寺 |
端王山 円通寺 |
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如意輪観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
馬頭観世音菩薩 |
古くは真言宗に属した寺であったと伝えられている。
中世になってから岩槻城主・太田家が復興し禅宗の寺になった。
開山は養竹院と同じ寂悦禅澤禅師大和尚。
無住です、ご朱印は養竹院さんで頂けます。 |
正応元年(1288年)の開創、開山は仏源禅師。
北条時宗公夫人覚山尼実家、安達家の跡地に建立されたものと思われ、往古は寺領百石であったと伝えられる。
文化三年(1806年)の火災により、山門と地蔵堂御本尊を残して焼失。 |
開山は正保三年(1646年)、忠清だと言われるが不詳。
本堂内には天保十三年(1842年)、「奉納四国巡礼所」の額がある。
観音堂はお寺さんから歩いて5分足らずの所にあります。
忍領三十三観音霊場、第六番札所。 |
平成25年09月29日 |
平成25年09月29日 |
平成25年09月22日 |
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第四十三番 |
第四十四番 |
第四十五番 |
大光山 龍興寺 |
海雲山 吉祥寺 |
萬松山 泉龍寺 |
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千手観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
大同年間(806~810年)、天裕和尚によって開かれたという、中興開山は雲芳和尚(永亭九年(1437年)没)。
古くから足利氏との関係が深く、境内には足利持氏とその子、春王・安王のの供養塔があります。
観音堂は山門の正面、右手が本堂です。
境内に三国志の像があります。 |
開山は寶聚寺第五世・菊厳和尚(寛永六年(1629年)没)。
寺歴は不詳ですが、近所にある寶聚寺の隠居寺として建てられたといわれ、一時は尼寺となったといわれるそうです。
現在は小さなお堂が建つのみ、ご朱印は寶聚寺さんで頂けます。
お参りの際は事前に寶聚寺さんに連絡してからが良いと思います。 |
旧記によれば、大同二年(806年)、開創で柴崎山・玉泉寺と称し、新義真言宗であった。
応永元年(1394年)、那波城主・大江宗廣公が大友氏の縁を得て河内国出身の白崖宝生禅師を請した、
応永十五年(1409年)、萬松山・泉龍寺と改称、貞亭元年(1684年)、本山の直末となった。
伊勢崎佐波三十四観音霊場の第十一番札所。 |
平成25年09月22日 |
平成25年09月29日 |
平成25年09月22日 |
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