第十番 |
第十一番 |
江湖山 紅雲寺 |
平等山 龍眠寺 |
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魚藍観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
天長五年(828年)の開創、其の後寺は衰廃になり、寛永五年(1628年)辰歳芳林が再興して本寺二世存悦を請して開山とし真言宗を改めて曹洞宗となし現在に至っている。
弘法大師御作と伝える一米大の脇仏薬師如来像、日光、月光、十二神将が有ります。
霊場で一番東の位置にあり、9番さん、11番さんから20㎞以上離れています。
最近は訪れる人が少なくなったとおっしゃていました。 |
明応五年(1496年)樹木ヶ谷(現沢上町)の地に、開祖大樹宗光禅師の初開道場として建立。
先師賢仲繁哲禅師を勧請開山とし、自らは第二世となった。
横須賀城主・西尾家歴代の墓所として天和二年(1682年)信州小諸より十三代城主として西尾忠成(一万五千石)が入府、以来二十代城主・忠篤の明治初年までの安定した時代の庇護のもとに栄えた寺院とのことです。
ご本尊聖観世音菩薩は頭に宝冠を戴き、身に天衣を着し、種々の瓔ラクで装身し左手で蓮華の蕾を持ち、右手でその花弁の一片を開かんとしている。この左手は即ち衆生界、右手は仏者であって、容易に開かない衆生の煩悩心を仏が開かしめるという形を表現したものである。
龍眠寺を代表する花は「椿の花」で別名「椿の寺」とも呼ばれるそうです。 |
平成22年11月20日 |
平成22年11月20日 |
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第十三番 |
第十四番 |
第十五番 |
嶽山 龍巣寺 |
福聚山 慈眼寺 |
明星山 大慈殿 甚光寺 |
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十一面観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
聖観世音菩薩 |
文明十七年(1485年)創建。
延徳元年(1489年)に太素省淳和尚によって開山された。
本堂は寛政元年(1789年)に建立されたもので釈迦牟尼佛文珠普賢菩薩を祀っています。
札所本尊十一面観世音菩薩は、龍巣院十一世金谷珊鉄禅師が西国観音巡礼の砌、霊地の土を持ち帰り、像を刻み、山中に観音像を安置、観音経を石に写経し、地下に埋め、参拝者に観世音の偉徳と恵みとを与えられんことを願い、特に十一面厄除け観音像を祀ったものである。 |
寺伝によると、元弘年中(1331~33年)頃に開創。
当初は那智山観音堂と称し天台宗であったとあります。
その後、江戸時代の元和年中(1615~23年)、観補馨察大和尚により開山。
本堂を再建し、福聚山慈眼寺と改め曹洞宗に改宗した。
ご本尊聖観世音菩薩は行基作の秘仏だそうです。
遠江観音霊場の第7番礼所でもあります。 |
開創時は、天台か真言か定かではないが虚空蔵と称したそうです。
海蔵寺八世・日山天恵禅師が、代官中野助左衛門六郎氏の助成を得、慶安元年(1648年)9月一宇を建立し農民の救済と故人の菩提を弔う為に虚空蔵堂を明星山甚光庵と改めた。
昭和13年(1938年)大本山永平寺六十七世・黙道慧昭禅師が法地開山となられ甚光寺と改称されたとのことです。 |
平成22年11月27日 |
平成22年11月27日 |
平成22年11月27日 |
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第十六番 |
第十七番 |
龍富山 松秀寺 |
珠玉山 宣光寺 |
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聖観世音菩薩 |
十一面観世音菩薩 |
文亀元年(1501年)、大易正甫大和尚の創立で山内の池のほとりに老松のあるをめでられて松秀寺と名づけたといわれている。
山内には、弁財天をまつり、遠州七福神霊場としても有名であり、遠江四十九薬師四十三番札所としても古来より信仰をあつめているそうです。
本尊聖観世音菩薩は、元禄元年(1688年)8月18日、九世・兼中重円大和尚によって奉祀されたもの。 |
寺伝によると、慶長元年(1596年)の開創。
開山は妙巌寺(豊川市)の二十五世大渕龍堂和尚によって開山された曹洞宗の寺とあります。
寺には、天正十五年(1587年)、徳川家康が延命長寿を祈願して寄進した梵鐘(市指定文化財)があります。
また、寄棟造りの地蔵堂内には、日本三大地蔵の一つとされる高さ1,4mもある平安時代作の木彫り座像「延命地蔵菩薩」(県指定文化財)があります。 |
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平成22年11月27日 |
平成22年11月27日 |
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第十八番 |
風祭山 福王寺 |
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聖観世音菩薩 |
今から1000有余年前に真言宗高野山の末派として建立。
その後、500有余年前の文安元年(1444年)に天翁義一禅師を迎え曹洞宗に改宗。
山号「風祭山」と称する言われは、永観二年(984年)に遠州一帯に大暴風が来襲した時、京都から諸国行脚の途次に来遠していた陰陽師・安倍晴明の御祈祷によって、暴風をしずめられ、多くの人々の災難を救われたとある。
このことによって、福王寺の山号を「風祭山」と称したとあります。
ご本尊聖観世音菩薩は行基菩薩作と伝えられる秘仏です。 |
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平成22年11月27日 |
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