遠州三十三観音霊場  第十九番〜第二十七番
 
第十九番
東光山 正醫寺
如意輪観世音菩薩
延暦元年(782年)の草創であると伝えられている。

その後、慶長5年(1600年)3月10日に巨山宗鯨大和尚によって開山、寺は曹洞宗に改宗された。

現在の本堂は、慶応4年(1868年)に建てられたもの。

札所本尊である如意輪観世音菩薩は、救世観音とも呼ばれ6つの手を持ち、人生における罪業を減じて、悟りの智慧を与えて願望を成就させる観音さまで、延命、安産、災難除け、賢明になるなどの功徳があると言うので信仰されている。

観音堂は本堂に向かって右手にあります。
平成22年11月27日
第二十番
今浦山 永福寺
十一面観世音菩薩
永正元年(1504年)2月1日、金室竜公和尚によって開創。福王寺二世命泉義竜大和尚を勧請開山として請した。

。「永福」の寺号は、開創当時の暦号である永正の『永』」と万民が幸せであるようにと念願を込めて「福」とを合わせ永福寺と称することに成ったものと言われている。

山号の「今浦山」は当地、今の浦の地名をさしているそうです。

観音堂は山門を入ってすぐ左手にあります。
平成22年11月27日
第二十一番
円通山 観音寺
聖観世音菩薩
正観世音菩薩のご尊像は恵心僧都の御作として伝えられている。

明応三年(1494年)、大洞院六派の一人大暉霊曜禅師が開創された円通院が動乱に遭い、観音さまを奉祀する一族と共に原野谷川を南下し、当地に御遷座され一堂宇を建立して円通院と称した。

その後、永禄二年(1559年)、松山鶴禅師が円通院観音寺と改め開山した。

ご本尊聖観世音菩薩は秘仏で午の年に一週間ご開帳されるそうです。
平成22年11月27日
 第二十二番 第二十三番
龍谷山 蔵法寺 海隣山 禮雲寺
潮見観世音菩薩 十一面観世音菩薩
1200有余年の歴史を持つ寺であるが開創はいつの頃かは定かでなく真言宗と言うだけで寺名は不明である。

 現在の蔵法寺は慶長三年(1598年)琢翁宗眠和尚により開山。宗派も曹洞宗に改宗されて以来法灯連綿として現住二十世に至っている。

潮見観音として有名だそうですが、ちょっとした曰くつきみたいです。
(そのお話は禮雲寺さんでお聞き下さい)

残念ながら4月に霊場会から脱退されたそうです。

ご朱印は二十三番・禮雲寺で頂けます。
創寺伝によると正保元年(1644年)三月の創建、白須賀元町の神明宮西隣に本寺蔵法寺六世天山尭存大和尚によって開創された。

その後、享保十九年(1734年)に大地震が起り、元町の宿場は火災と津波により大きな被害を被り寺は現在地に移されたとある。

大正四年(1915年)蔵法寺十八世聖山恵超大和尚を法地開山とし、昭和二年庵号を寺号に改め今日に至っている。

二十二番・蔵法寺さんは禮雲寺さんの本寺だそうで、寂しそうでした。
替わりのお寺さんは決まっているそうですが、まだ資料等には反映されていません。
平成22年11月27日 平成22年11月27日
第二十四番 第二十五番
海蔵山 岩松寺 宇津山 正太寺
千手観世音菩薩 聖観世音菩薩
元和五5年(1619年)、源智により開かれた小さな草庵に始まり、やがて松岳院と称した。

天和二年(1682年)、玄誉和尚は宗祖承陽大師二十七世法孫大川梵益を請して開山とし、三代将軍家光公よりご朱印を拝領して本尊阿弥陀如来を安置し、寺号を岩松寺と改めた。

札所本尊千手観世音菩薩は子育て観音とも呼ばれる。
文政五年(1822年)、 当寺十一世大心和尚代。門前の子供が大病で、まさに死ぬばかりであった。
母親はなんとしても子供を救おうと一心に仏さまを念ずると、手の沢山ある仏さまが現れ、子供の体をなでさすった、とたんに、大病は癒えた。
これが当寺に祀られる千手観音菩薩である。
応仁元年(1467年)、本寺宿蘆寺二代の祖、受信大和尚の創建。

享禄二年(1529年)、宇津山城主で今川氏親の家臣朝比奈紀伊守泰満により本堂が建立。

以来宇津山城歴代の城主の帰依により寺門興隆。慶安元年(1648年)、徳川家光公よりご朱印を賜る。

 ご本尊聖観世音菩薩は、大同二年(807年)浜名湖より出現、村民宇津山の中腹に堂宇を設けて観音堂となしと伝えられ、後に、この観音さまを本尊に迎え正太寺が開創された.
平成22年11月27日 平成22年11月27日
第二十六番 第二十七番 
種月山 閑田寺 半田山 龍泉寺
聖観世音菩薩 慈母観世音菩薩
天正元年(1573年)の開創。

開基は「月山浄閑居士」、観音菩薩の信仰心厚く、堂塔一宇を建立して聖観世音菩薩を本尊として祀り、当地方の人々に観音信仰を広めんと発願し、寒巌義争禅師の法孫である宿蘆寺六世・明巌宗察禅師を請して開山とし、本巌林宗和尚を第一世住持に請し開創された。

右の写真は魚籃観音画像。

三十三観音の一つで、此の観音を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされる。

実物はとてもきれいに描かれています。
開創年代は不詳であるが、奈良時代(710〜788年)には現在の寺域を中心に大きな集落と祈願所が設けられていた。

寺は幾度かの火災に遭い、記録では天正二年(1575年)8月、当時の住僧津叟把公座元なる者、本寺龍秀院三世玉山全瑳大和尚を開山に請し、村民と協力し堂宇再建し開基するとあります。

子供の無病息災、良縁、子授け、安産、また水子供養の霊場として信仰を集めているそうです。
平成22年11月27日 平成22年11月27日
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