行徳・浦安三十三観音霊場   第一番~第十番
 
第一番 第二番 第三番
海厳山 徳願寺 行徳山 福泉寺(廃寺)
(行徳山 金剛院)
塩場山 長松寺
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩
埼玉県鴻巣にある勝願寺の末寺。

昔は普光院という草庵。

慶長十六年(1610年)、徳川家康の帰依により徳川の「徳」と勝願寺の「勝」の二文字をとって徳願寺と名が付けられた。

元録三年(1690年)、十世・覚誉上人により行徳札所三十三ヶ所巡りが始められ、藤原観音堂を建てて身代わり観音を遷した。
金剛院は本行徳にあったが享保年中(1716~35年)に廃寺となり、聖観世音菩薩は福泉寺に移された。

金剛院は天文十一年(1542年)、出羽国・金海法師が来て建立、羽黒山。法漸寺末寺となり御行屋敷と呼ばれた。

福泉寺は元々小庵で、旧寺の廃墟の跡にあって寺号ばかりが残されたものとのことです。
天文二十三年(1554年)、松原淡路守永正の建立。

馬橋万満寺の末寺で溟山和尚の開基。

この寺の旧地は江戸川の中州で、現在地は本行徳の塩場の先端だそうです。

一番・徳願寺さんの直ぐ側にあります。
平成23年10月10日 平成23年10月10日 平成23年10月10日
 第四番 第五番 第七番
神明山 自性院 十方山 大徳寺 聖中山 正源寺
聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
天正十六年(1588年)の建立、法仙法印の開基。

葛西小岩村善養寺の末。

本行徳1丁目の神明社の別当寺。

本堂手前右に田中家の小作番頭、秋本九兵衛家の墓所に、勝 安芳(海舟)筆の熊谷伊助慰霊歌碑がある。
元和元年(1615年)の建立、光誉快山和尚の開基。

芝増上寺の末。

『葛飾記』には享保元年(1716年)、河原村・道喜という人が建立として「時の鐘」と記される(先の大戦中に供出し今はない)

増上寺36世祐天大僧正を通して勅許を得た時の鐘で、蓮田や塩場で働く人々に時を告げた。
文安元年(1444年)、正源上人の開基。

『葛飾誌略』には宝徳元年(1449年)、信誉和尚の開基ともあるそうです。

今井金蔵寺の末。

本堂に盲目弁天といわれる弁天さまの厨子が安置されているが、開基以来開けたことがなく、ご開帳すれば盲目になるといわれている。
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第八番 第九番 第十番
不動山 養福院 稲荷山 雙輪寺
(竜灯山 竜源寺)
稲荷山 雙輪寺
(稲荷山 福王寺)
不明(焼失か?) 三面八臂観世音菩薩 千手・十一面観世音菩薩
重海法印の開基、天文十九年(1550年)建立。

土地の人は「不動さん」と呼ぶ。

江戸川の土手と、河原の春日神社の間の細い道沿いの住宅地の中にあり、こじんまりしたお寺さんで説明板の建て札がないと分からないと思います。

普段は無住です。

船橋の薬王寺さんが管理されています。
竜源寺は養誉法印の開基、宝徳元年(1449年)の建立。

船橋市古作にある明王院の末。

江戸川放水路開削のため福王寺と合併し移転した。
福王寺は康信僧都の開基、永亭三年(1431年)の建立。

船橋市の覚王寺の末。

江戸川放水路工事の準備として大正元年から移転準備がされ、昭和十年頃福王寺敷地へ移転した。

寺名は「双(雙)方の輪(和)の寺」の意味だそうです。
平成23年10月10日 平成23年10月10日 平成23年10月10日
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