行徳・浦安三十三観音霊場  第十一番~第十九番
 
第十一番 第十二番 第十三番
海中山 了極寺 海岸山 安養寺 真宝山 法泉寺
阿弥陀三尊脇侍仏 千手観世音菩薩 阿弥陀三尊脇侍仏
如意輪観世音菩薩
登誉和尚の開基、元録四年(1691年)建立。

船橋の浄勝寺末。

お隣が十ニ番・安養寺さんです。
宥秀方印の開基、天文三年(1534年)建立。

当国・井野村、千手院末。

昭和四十八年、住職が寺の回廊に四国八十八ヵ所と紀州・高野山を巡拝した霊石を敷き詰め、はだしで踏んでお参りするよう設置した。

一応、一周しておきました。(靴ははいてましたが。。。)
法誉上人の開基、元亀元年(1570年)建立。

葛西西上今井村・浄興寺末。
(もとは芝・増上寺末)

徳川家康が民情視察を兼ねて東金に鷹狩に行くとき、3回ほどこの寺で小休止している。

お墓がないと普通の家みたいですね。
ご朱印は20番さんで頂きます。
平成23年10月10日 平成23年10月10日 平成23年11月5日
第十四番 第十五番 第十六番
仏性山 法善寺 飯沢山 浄閑寺 正覚山 教信寺
(仏貼山 信楽寺)
聖観世音菩薩 阿弥陀三尊脇侍仏 聖観世音菩薩
権大僧都宋玄の開基、慶長五年(1600年)建立。

宋玄和尚は関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方の落武者・河本弥左衛門。

寺地は昔、長末寺が中州にあったころの所有地で塩場だった。

別称・塩場寺と呼ばれた。
鎮誉上人の開基、寛永三年(1626年)建立。

最初は草庵に等しかったものを代官により七堂を備える立派な寺だったという。当時は近くの内匠堀から直接船で入れる池が有名だった。

芝・浄土宗大本山増上寺の末寺。
富誉順公の開基、元亀元年(1570年)建立。

昭和二十年一月二十八日、空襲で爆弾が落ち本堂が爆破された。

同ニ十七年に教善寺(現在・教信寺)に合併。
平成23年11月5日 平成23年11月5日 平成23年11月5日
第十七番 第十八番  第十九番 
正覚山 教信寺
(正覚山 教善寺)
関東山 徳蔵寺
(医王山 宝性寺)
関東山 徳蔵寺
聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
教善寺の創建年代は不詳。

葛西上今井村・浄興寺末。

信楽寺と合併してそれぞれの寺の一字をとり教信寺となった。

ご朱印は数少ない手書きです。
権僧都覚順の開基、天正四年(1576年)建立。

武蔵国小岩・善養寺末。

長い間無住で昭和三十一年に徳蔵寺に吸収された。
乗意法印の開基、天正三年(1575年)建立。

武蔵国小岩・善養寺末。

『葛飾誌略』では山号を「関鳥山」としている。

毎月20日には不動堂で護摩が行われる。
平成23年11月5日 平成23年11月5日 平成23年11月5日
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