天正ニ年(1574年)の開基。
大正三年(1914年)、近くの万日堂を合併し、昭和31年に現在の本堂を新築した。
堂内には本尊の大日如来と共に聖観音が祀られている。
札所本尊の聖観音は50pほどの座像、霊場開設時は1mの聖観音だった。
ご朱印は観音寺さんで頂きます。 |
寺伝によると、いつのころからか山伏が日向村に住み着いたが、村に寺がなかったため、自宅を寺とし宝生寺を創建したと伝えられる。
天保十四年(1843年)、近在の農家より出火し、その類焼により堂宇を失う。
観音像は弘法大師作と伝えられ、5pほどの金仏であったが江戸時代に紛失、現在の観音像はその後新調されたもの。
丁度境内にいたご住職にご朱印をお願いすると、
「これ上げる」と手に持っていた沢庵を頂きました。
おまけに観音堂でお経まであげて下さいました。 |
縁記によると、新田義貞とともに戦死した家巨、中野景春の妻が暦応四年(1341年)、庵を建てたことに始まる。
古くから「子育て観音」とも呼ばれ、休日には子供の育成を願って大勢の参拝人が訪れる。
(そばの明言寺のこぶ観音は新上州の十番札所です)
現在は無住のため永明寺(邑楽町中野)が兼務。
ご朱印はすぐ前の御休憩所に置いてあります。 |