元和ニ年(1616年)の創建。
かつての十三番札所は観音寺、大同元年(806年)の建立。
東武縁・韮川駅の南にあったが、昭和41年、駅周辺の開発事業のため同寺に合併された。
寛政年間に焼失し、その後再建されたが昭和16年(1941年)に再び火災に遭った。
現在の本堂は昭和24年(1949年)に再建されたもの。
観音堂は境内の左側にあり、行基作と伝えられる1mほどの金色の聖観音像が安置されている。 |
かつて救世山・松響庵という寺があり、約30pの馬頭観音が安置されていたが、いつの頃かお堂が焼失。
本尊は木造の聖観音に姿を変え、明治初年頃に大光院・吉祥門近くの教授院に救世観音という名称で移されている。
現在では小高い山の上に観世音と彫られた丸石と先の欠けた石地蔵が祀られている。
ちなみに大光院はガイドブックには載っていませんが特別霊場になっています。
ご朱印も教授院さんです。 |
平安時代後半、源義家と戦って敗れた安部貞任一族の松島美濃守貞俊が、仲間の成仏を祈るため家に伝わっていた聖徳太子作の観音像を背負って諸国を巡業した。
新田荘に来た時、故郷の松島と少しも違わない景地があったので、感激して堂を建立して観音像を安置した。
縁記によると霊場開設寺は聖観音であった。
住宅の中にありますが、以外と簡単に見つかりました。
ご朱印は吉祥寺さんです。 |