北陸三十三観音霊場   第一番〜第九番
 
第一番 第二番
青葉山 中山寺 本光山 馬居寺
馬頭観世音菩薩 馬頭観世音菩薩
天平八年(736年)、聖武天皇の勅願により泰澄大師が創建したと伝えられています。

本尊の馬頭観世音は高さ79.3pの檜寄木造り。

御本尊の秘仏公開は、平成22年5月23日〜平成24年5月20日の間行なわれています。

造りの良い観音様で何度も訪れるリピータの方もおられるそうです。
創建は飛鳥時代、聖徳太子が開祖と伝えられています。

馬頭観音様が居られる寺ということから、「馬居寺」がこの寺の名の由来。

現在、上野の東京国立博物館で「空海と密教美術展」が行われていますが9月にはバスで行かれるとのことでした。

こちらは真言宗のお寺さんです。
平成23年8月20日  平成23年8月20日 
第三番  第四番
岩屋山 妙楽寺 石炎山 多田寺
 
千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
本尊は千手観音菩薩(重文)。養老三年(719年)行基が本尊を彫り、延暦16年(797年)空海が再興したと伝えられているが、羽賀寺の縁起により名田を寄進されてもいるので、建立の起源は定かでない。

千手観音菩薩立像は、平安時代中期の作、桧の一木造、頭上に24面の顔と1000本の手が彫刻されている。

長く秘仏であったため、現在も金箔に覆われている。
天平勝宝元年(749年)に、孝謙天皇の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられる。最盛期には子院十ニを数えたが、文化四年(1807年)に再建された本堂が残る。

本尊木造薬師如来立像
脇侍仏として当初十一面観音と指定していたが、薬師三尊一式の密教的見地から日光十一面菩薩(重文)と呼んでいる。

白鳳時代作。像高135.4cm。カヤの一木造。密教信仰が浅い古密教時代の貴重な仏像である。
平成23年8月20日  平成23年8月20日
第五番 第六番
鳳聚山 羽賀寺 宝篋山 天徳寺
 
十一面観世音菩薩 馬頭観世音菩薩
「本浄山羽賀寺縁起」によれば、霊亀ニ年(716年)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる。その後天暦元年(947年)の洪水で流出し、雲居寺(現在の京都市東山区にあった廃寺)の僧・浄蔵が再興したという。

中世には守護細川氏などの庇護を受け、元弘の乱による焼失後、延文四年(1359年)に細川氏清が再興した。その後応永五年(1398年)にも焼失したが、永享八年(1436年)に奥州安倍氏の安倍康季が再興したという。

真言宗寺院となるのは宝徳ニ年(1450年)で、それ以前は天台宗に属し、青蓮院門跡の末寺であった。
縁起によれば、養老年間、加賀・白山を開いた泰澄大師が当地宝篋ケ嶽に上り、馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て寺の起こりとしている。

天徳元年(957年)、時の帝村上天皇の勅願寺として斉田二十町が寄進され、また正治元年(1199年)、源頼朝の菩提を弔うため、ニ位尼により法華堂が寄進建立された。

現在の観音堂(写真)は明治三十ニ年の再建。
平成23年8月20日  平成23年8月20日
第七番 第八番 第九番
大悲山 石観世音 観音山 帆山寺 朝日山 福通寺
 
石観世音菩薩 千手観世音菩薩 正観世音菩薩
本尊は花崗岩の表面に彫られた磨崖仏の聖観世音菩薩。

若狭観音霊場特番礼所。
秘仏であり開帳は33年に一度で、次回の開帳は2026年10月である。

石観音菩薩由来記によると弘法大師が若狭に布教の最、三方五湖を一望できる雲谷山山麓の花崗岩に一夜で彫ろうとしたが、完成する前に一番鶏が鳴いた為、右手首が未完成のまま下山した。

このことから片手観音とも呼ばれれいる。
和銅七年(714年)、泰澄大師がインド伝来の霊木を彫刻して造られた千手観音を本尊にし、聖武天皇の勅願により天平元年(729年)に土地や七堂伽藍を寄進され建立されました。

行基菩薩の開基と伝えられている。

織田信長の戦火により焼失したあと、現在地に移り府中城主・本多富正の帰依を受け、入府の際には三葉葵の紋所の使用が許されました。
養老元年(717年)、越の大徳(こしのだいとこ)泰澄大師により開かれた。

寺伝によれば、この地に来られた泰澄大師が、洞窟に住み、土地の人々を悩ませていた魔神がいるのを知り、その魔行を破るため、三七日〔二十一日間〕祈念したところ、洞窟の側の楠の大木が光明を放ったので、大師は歓喜してこの楠を一刀三礼して彫刻し、御丈ニメートルの正観世音菩薩像を作られました。(秘仏)

こちらには同じ泰澄大師作の千手観瀬音菩薩像もあります。(こちらは見ることができます) 
平成23年8月20日 平成23年8月21日 平成23年8月21日

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